母も子も、行って来ました! アースディ六ヶ所



▲●■ きっかけは、手渡された2枚のチラシ ■●▲
 発端は、この3月に三島市(静岡)で行われた『チェルノブイリ救援コンサート』でした。私の家から車で50分ほどの距離にある富士市で開かれたホメオパシーの勉強会に、遠い沼津から参加してくれた女性が、さらにちょっと先の三島でこのコンサート開催に協力しているということで、勉強会の後、2枚のチラシをくれたのでした。

 私はふだん、子どもたちとの時間をなるべく大切に考えて暮らしています。田舎暮らしを女手ひとつでというのは結構タイヘンなもので、日常のこまごましたことに時間をとられがちですが、手づくりの暮らしをまず大切にした上で、学校や保育園に行かずに家で過ごすわが子たちとの時間をなるべく削りたくないので、仕事もまだまだ控えめにしているのです。

 世の中に意義のある活動はたくさんあると思うのですが、とりあえずはこのMOMを通して「育児」という最も素晴らしい母親たちの仕事を支えていきたい、しかし今の自分の暮らしの中で無理のない程度に―と考えてきました。自然派のお母さんたちは、子どもが幼少のころは育児関係の活動、そして子どもが小学校に上がったりして時間ができはじめると、今度は環境系の活動に移る人たちが多いように思われます。私もいずれはそのような経路をたどるかもしれないけれど、今はまだその時期ではないと思っていました。

 世の人々にゴミの削減を訴えていくより、今はまず暮らしの中でわが子に伝えたい。一緒にゆっくり散歩しながらゴミを拾ったり、地球の大切さについて会話したり・・・そんな小さなことの積み重ねが、ひいては地球環境を大切にする世代を作ることになるはずだと自分に言い聞かせてきました。

 子どもを持ってからは映画やショッピングなどへの興味も薄れ、関心のあるテーマで催しがあっても、結局は子どもを置いても連れても行けない(子どもに無理をさせてまで行きたくはない)ので、アンテナもあまり伸ばさずにおくことが多かったように思います。もちろん、このコンサートにも自分はまず行かないだろうと思っていましたので、もらった2枚のチラシのうち、1枚は人の出入りの多い知人の店に貼ってもらうことにしました。

▲●■ 静かに染み入るメッセージ ■●▲

 ところが、行けるはずもないのに部屋に貼ったままにしておいたこのチラシを毎日目にしているうちに、何か不思議な力が働いたのでしょうか、当日になって突然、行ってみようかという気になったのです。わが家はWWOOFホストをしているのですが、滞在中のウーファさんが三島までの運転をしてもいいと言ってくれ、当日予定していたことも相手の都合でキャンセルになり、急遽、子どもたちと4人で三島へ向かうことにしたのでした。

 慣れない道、また田舎ではあり得ない夕方の混雑などで、開演から1時間も経過してしまっていたのですが、ステージではチェルノブイリの事故を間近に見、故郷を失いながらも美しく成長した少女たちが、民族楽器を奏で、歌い、事故の悲惨さを語ってくれました。私は子どもたちと母子室のガラス越しに、ウーファさんは客席で、その歌と語りを聴き静かに涙しました。

 終わったのはもう9時近かったので、子どもたちも眠くなり始めており、急いで家路につきました。でも、会場を後にしても、「原子力発電をなんとか停めなければいけない!それも世界中の」という気持ちは消えず、私のなかでフツフツと涌き続けるものがありました。私より小さな子どもを持ちながら、このコンサート開催に力を注ぎ、私に2枚のチラシを手渡してくれた彼女のことも、ずっと心に残っていました。

▲●■ 立ち上がったひとりのお母さん ■●▲

 それからほどなくして、六ヶ所村の問題についてあちこちで目にするようになりました。青森県知事選が近々行われること、その選挙に、経歴も支援する政党もなく、ただ「六ヶ所の核燃再処理工場の稼動を停めたい」というだけの想いから立候補を決めた母親がいると知りました。居ても立ってもいられない気持ちで、まずはカンパを送りました。選挙戦終盤になって、「ひとりでも多くの応援者を県外から!」という呼びかけをする人たちがおり、「私も行こう!」と決めました。

 ものごとは決めると動き始めますね。でも、結局はこのとき、行くことはできなかったのです。ただ、私の誘いに答えるより早く動いてくれ、私が中止の連絡をした1時間後には青森に到着して選挙運動に合流してくれていた人がいました。結局、私の想いがバトンとなって彼に受け継いでもらえた結果となり、うれしく思いました。

■ 『六ヶ所村ラプソディー』を観る ■

 そのときの縁で、東京・三鷹で開かれる『六ヶ所村ラプソディー』上映会に、惜しくも当選は果たせなかった西谷美智子さんが青森から駆けつけてくれることになったと知ったのは選挙戦から1週間ほど経ったある日でした。実はその日もずいぶん前からの予定が入っていました。参加は無理だろうと思っていましたが、それが前夜になって変更となり、行ける時間ができました。もうこれは行くしかないと思い、急いで上映中の子守の手配をして、会場へ向かいました。西谷さん、そして私の代わりに青森へ行ってくれた人、その他多くの仲間たちに会え、語り合う時間が持てました。

 この映画を多くの人に観てもらうために、メッセージカードを作って販売している若い女性たちもいました。みんなが、自分のできることをひとつづつでもすれば、確実に一歩進むことができるんだという確信が深まりました。私も、今の状態でできる何かをしたい―それは、現実を身近な人々に伝えること、伝えようと努力している人たちを応援すること。

▲●■ 「私にできること」を探す ■●▲

 地元に帰って、上映会の予定を調べてみると、7月にお隣の富士宮市で企画されていました。友人や知人に伝えると、「行きたい」といううれしい反応がいくつも得られました。でもみんな小さな子どもがいます。主催者に電話して託児の有無を問い合わせると、準備はないという返事でした。「それなら私が出前で託児をしてはどうか?」とっさにそう考えて告げると、快く受け入れてもらえ、早速その夜の勉強会兼ミーティングにお邪魔して、打ち合わせをさせてもらう運びとなりました。

 打ち合わせの間、わが子たちは子守役のウーファさんとともに、会場近くの友人の家で預かってもらいました。友人は、翌朝学校や保育園へ行く子どもたちを早めに寝かせた後も、わが子たちを家に置いてくれたのです。友達とはいえ、そんな無理を頼むことは今までなら考えられませんでした。なにより、私の外出のために子どもを人に預ける(しかも夜間に)なんてことはまずあり得なかったことです。

 それでも案外子どもたちは楽しく待ってくれていたのですが、もちろん、帰るなり「遅い!」と口々になじられ(早めに切り上げてきたのにも関わらず・・・わずか1時間の外出で!)、帰りの車の中では抱っこやオッパイをせがまれ、そのうちバタンキューと寝入ってしまいました。「ちょっと疲れさせてしまったね、ごめんね」と寝顔に語りかけ、「それでも私にもう少しやらせてね!2人のためにも後悔しないようにね」と独りごとのように続けた私でした。

▲●■ 知って、感じたら、動いてみる ■●▲

 映画の中にあった「もっと早く応援に来てほしかった」という六ヶ所村人の言葉が忘れられません。20年前、20代に入ったばかりの私は、何も知らずに都会で電気を使い放題に暮らしていました。自動販売機で缶飲料を買い、深夜に照明を煌々とつけた店で商売をし、香港の山頂から100万ドルの夜景を見て、単純にその美しさに感動したりもしていました。たくさんの電気を使うことが、原子力発電所を抱える土地の人たちにどれだけの犠牲を強いているのか、また地球にどれだけの負担をかけているのか、ぼんやりとした情報だけは知っていても、それを自分の暮らしに直結して考えるにはいたっていませんでした。ましてや、遠い青森・六ヶ所村で起こっていた騒動や問題など、新聞の片隅で目にするそばから忘れ去り、彼らの行動を支援するなど当時の私には思いもよらぬことでした。

 しかし今、こうして知った以上は黙っていることはできません。黙っていれば、何も伝わらないからです。黙っていれば、すべては自分の望まない方向に進んでしまうのです。それを見過ごすことはやはりできません。小さな子どもがいても、いえ、小さな子どもがいるからこそ、僅かにでも声を上げなければならない。一歩でも動かなければならない―そう思います。そして、そんな声が、歩みがたくさん集まれば、それはきっと大きな力になるはずです。

▲●■ 母と子で、六ヶ所へ ■●▲
 『母と子で行く六ヶ所ツアー』を思いついたのは、そんな気持ちからでした。日程が近づくにつれ、同じような想いに居ても立ってもいられない母親たちが、ひとりふたりと集まってくれて、埼玉、神奈川、静岡、山梨から5家族15人の母子が乗り合って『アースディ六ヶ所』にやって来ることができました。出発の前夜ギリギリまで粘り強く連れ合いの説得を続けた人や、当日の朝になって参加を思い立った人もいます。それぞれの想いは同じ。「母親だから、この子たちのために、この子たちと一緒に動きたい」ただそれだけなのです。そしてこの想いは、全国のどんなお母さんとも分かち合えるものと信じています。私たちがこうして六ヶ所へやって来たことを、六ヶ所で、世界中の原発や核燃処理工場でこれまで起こってきたこと、今起こっていることを、ひとりでも多くの母親たちに知ってほしいと願ってやみません。