イ ト キ チ 日 記
momと息子たちの日常を綴っています
現在、小学校2年生の学齢である結(ゆう)のホームスクーリングについても・・・


「イトキチ」というネーミングの由来については
こちら を読んでね!

 05年 9月2日(金) 天気:晴れ


 私たち母子が上九一色村富士ヶ嶺にやってきて早や2ヶ月以上が経ちました。埼玉にいた頃はホームスクーラーとして、学校とは何も接触を持たずにいた結ですが、ここは小さな農村(面積はだだっ広いのですが、人工的には)なので、地域の子どもたちとすんなり遊べるといいなぁと思って、住民票を移動してまもなく、富士豊茂小学校に出向いて相談してみることにしました。夏休みが始まったばかりの8月初旬、私と穣里が子どものいない校舎を訪ねると、教頭先生が出迎えてくださいました。転入生が受ける説明をひととおり受けてから、こちらがホームスクーリングを実践してきたこと、そして、今後は普通に学校に通うことはしないが、なんらかのかたちで学校とも関わり、地域の子どもたちとの関係を作って行きたいという希望を話すと、とくに問題もなく受け入れていただけました。

 富士豊茂小学校は、全校生徒41人(結の転入で42人)、2年生は一クラスで5人(結が入って6人)という小ぢんまりした学校で、「とても家庭的なので、何も気にせずやってください」とおっしゃっていただけ、とても安心しました。(実は、8月25日の始業式で児童全員に紹介してくださるということでお邪魔した際、教頭先生にお話した内容が、校長先生や担任の先生に正確に伝わっていなかった・・・というか、教頭先生ご自身に誤解があったのか?・・・再度こちらの意向を説明し直さなければならなかったのですが、最終的にはそれでもOK、やってみましょうということになりホッとしています)

 お願いしたのは、とりあえず行事だけに参加をさせてほしいということ。9月10日にさっそく運動会があるそうなので、始業式の翌日から、毎日1〜4時限ほど合同練習に参加する(マーチングの鍵盤ハーモニカだけは、今から練習を始めてもついていけないと思ったので外してもらっいました)ことにして、結はもうウキウキです。チャーチャンが遊びに来た時に、お向かいのAコープで体操服をワンセット買ってもらい、河口湖の町にでかけたついでに運動靴と上履きも買いました。こちらの学校はありがたいことに、体操服以外はまったく指定ナシ、すべて自由でよいということなのです。ランドセルの代わりにチャーチャンに飼ってもらったばかりの新しいリュック、上履きは白い縁の硬いものではなく、柔らかくて履きやすそうなものを選びました。

 通い始めてから今日ですでに1週間ほど経ったのですが、見るもの聞くものすべてが新鮮で楽しい様子です。家へ帰ってくると、「ママ、『体育座り』っていうのがあるんだよ、こういうの!」と、ひざを『く』の字に曲げて両腕で囲んで座って見せてくれたり、「『前へ習え〜♪』っていう体操がテレビであったでしょ?あれと同じのがあるの!『前へ〜習え!』」と、これは多分、埼玉にいた頃ときどき見ていた『ピタゴラス体操』のことを言っているのでしょう、真似して教えてくれるのです。1,2,3年生が合同で『ソーラン節』を踊るらしく、初日からそれを習って今ではほぼマスターしてしまったようです。彼の頭の中には『ソーラン節』がいつも鳴り響いているらしく、「ニシンきたかぜ(『来たかと』なんだけど・・・)〜♪」と歌っては踊り、本当に楽しそうです。(結は結構ダンスの才能があるのか、動きはなかなかのもんです・・・親バカ?)

 
 今日は学校の帰りにお友達がたくさん遊びに来てくれて、家の中も外もにぎやかでした。この家は学校のならびにあるので、逆方向へ帰る子ども以外は、ほとんどの子どもがここを通るのです。小学校、公民館、農協(なかに簡易郵便局)、診療所と続いた次に我が家があり、また隣は区の集会所、そこが角になっていて富士ヶ嶺地区にたったひとつの信号があります。オウム真理教が去った跡地に『ガリバー王国』というテーマパークができた頃に道が整備されたそうで、かなりの道幅がある道路です。道を渡ると向かいがAコープと農協の地元物産販売店という、『富士ヶ嶺銀座』
といってもよい立地。それにしては雑木林に囲まれたりして環境がよく広々しているので、子どもたちがたくさん来ても狭苦しさは感じません。中で遊ぶ子、外で穣里のユンボやダンプを動かしている子(昼寝から目覚めた穣里は、もちろん一緒になって「ガガガガ〜ッ」と張り切っていました。途中、何度か泣きながら戻ってきたりしていましたが・・・笑)など、それぞれ思い思いに楽しんで帰ってくれたようです。(誰よりも嬉しかったのは結でしょうけどね〜)

                                
 私と、WWOOFボランティアで来てくれているヒロさんは黙々と家や庭の片付け。マレーシア時代の友人の子、偉偉(ウェイウェイには、掃除の手伝いや穣里の世話などを頼みながら、)少しずつ家らしくなってきています。大多喜時代に知人からもらった草刈機も初めて活躍してくれて、雑木林の下草がかなりきれいになったようです。草が全部キレイに刈られ、木々の枝を払ってもう少し日を入れたら、冬の間も子どもたちの格好の遊び場になることと思います。通りがかった他学年の子どもたちも、寄って行きたそうな顔をして結と二言三言交わしていたし、ツリーハウスなんかも作って、子どもたちの学童保育がわりの遊び場になるといいなぁと思ったりしています。子どもが大好きで、アウトドアの遊びを一緒に楽しんでくれるWWOOFerも募集してみようかな。

写真はあとでアップします
PCに読み込ませる道具が出てきません!
いろ〜んなものが、箱の中に
閉じ込められてしまっています・・・


 05年 4月6日(水) 天気:晴れ






 今日はとてもいい天気!お布団を干して、洗濯物を干してしまったら、近くの公園に花見に行こうか?と話していた。結が、「親水公園にはもう桜が咲いてるよ!みんなご飯食べに来てるんだよ、結たちも行こうよ」と言うので、それじゃあサンドイッチを作っていこうということになったのだ。結は、パンにスライスチーズをのせて、それを焼いたのがいいと言う。私は、せっかくリーフレタスがあるので、冷たいチーズでサンドイッチしたいという意見で、平行線。焼いたら熱々で食べたいから、それなら食事をしてから花見に行こうよということで話がついたのだが、結局、食後すぐに穣里が眠くなってしまって、一緒のお花見はキャンセルになってしまった。

 自転車で15分ほどの隣市の交流センターでお習字を習っているのだが、今日はお稽古日だったので1時にホームスクーラー仲間と待ち合わせたと言って出かけていった。午後1時から夜は10時ぐらいまでひとりの先生が教室にいらして、いつ行っていつ帰ってもよく、月に6日ほどあるお稽古日の中から、都合のよい日を3日選んで行くことになっている。ホームスクーラー仲間が行っているので、交流できたらということから始めたのだが、いろんな年齢の小学生が集まることもあって楽しいらしく、毎回とても喜んで出かけている。たいていは終わったあと館内にある図書館に寄ったり、そのまま友達と遊びに行ったりもできるから、半分ぐらいはそれが目当てでいるらしい。

 こちらの先生はとても快活で鷹揚、おまけにたいへん褒め上手な方なのでありがたい。最初は私も一緒にペン習字を習っていたので、教室の様子、先生の指導の仕方などもほとんどわかっているから安心して通わせることができる。今日は友達の家に書道の道具を忘れてきたまま帰ってきてしまったらしく、2日後に取りに行くことを告げる電話を自分でかけていた。遊びの約束やちょっとした用事など、自分で電話をかけることができるようになっているのは頼もしい。穣里の場合は、結がお手本になるから、きっとさらに早いんだろうなぁ。

 穣里と言えば、今日は帰るなり「穣里におみやげがあるんだよ、『あいうえお・・・』が全部書いてあるお手本を持ってきたからね。穣里のお勉強になるから」だって。見せてもらうの忘れてしまったけど。お風呂から上がるときに、穣里のからだをまず拭いてやって、その後に結のからだを拭いていると、必ず戻ってきて「今ふいたところと同じところを自分も拭いて!」という仕草をする。結の頭を拭くと頭を差し出し、結の背中を拭くと自分の背中に手をやって「拭いて」とせがむ。これが面白くて、今日は結が「なんでも真似するから、穣里はお兄ちゃんよりずっと早くいろんなことするんだろうね〜。きっと『あいうえお・・・』だってすぐに覚えちゃうし、漢字だって結より上手に書けるようになっちゃうよ」なんて言っていた。いつの間にか正真正銘の「お兄ちゃん」になっているんだなぁ・・・。



 05年 4月5日(火) 天気:晴れ


 大井町の教育委員会から学籍のことで電話がある。私たち母子の住民票が山形に置いたままで、3月いっぱいは区域外通学(山形県米沢市に住民票があるが、大井町に学籍を置かせてもらう)の手続きをしてあったのだが、それが切れるまでに次の移転先を決めて連絡をくれと言われていたのだった。すっかり忘れたまま4月に入ってしまい、そろそろ進級で学校は新しい年度が始まるため、学籍の所在をハッキリさせなければならないということなのだろう。

 その件で電話をもらったのが29日で、「31日までに移転先を決定してほしい」
と言われた私は、焦ってすぐに米沢市に「郵送による転出届」というのを出した。これが米沢市役所に届いて受理されると、こちらへ「転出証明書」が送られてきて、それを持参して転入先の市町村へ行き手続きをしないと、新しい住民票が作れない。本当は、早いところ移転先を決めて、米沢市から直接その自治体へ異動することにして手間を省きたかった。わずか数日のために、健康保険証やらを作ってもらったり返還したり、ホームスクーリングのことで教育委員会と話をしたりという無駄をしたくなかったからだ。ところが、突然かかってきた電話で「2日以内に・・・」と急かされたことで、考えるまもなくつい転出届を出してしまった。実は、いろんなことを考えている余裕が心にない。新しい家も、いくつか見学をして、そろそろ候補を絞ってもよさそうなものなのだが、一向に頭が回らない。思考がストップしたような、自分の中でいろんなことが停滞しているような感じを受ける。そんなこともあって、夫にも来ないでほしいと連絡をしたのだった。これ以上、頭や気持ちが混乱するのは避けたいと思ったのだ。

 今回の離婚は、私にとってはかなりの精神的ダメージになっている。その上、家探しにかける時間と体力・・・このため身体的なダメージも重なっている。ほとほと疲れてしまい、この大きな人生の転機において、いったいどちらを向いて進むべきなのか、羅針盤を失いかけているような気がすることもしばしばあった。それでも大きな方向だけは見失うまいと踏ん張っているつもりなのだが、家探し、住む土地探しにつきまとういろんな条件の中で、いったい何を優先させればよいのか・・・話し合う伴侶はおらず、ひとりで決めなければならない。私が望んでいた暮らしは、母子3人だけでのものではなく、家族4人でのものだったから、そこに自分の人生のパートナーであり、子どもたちの父親という存在があるのとないのとでは、実に大きな違いがある。自分が望む暮らしから、とても大切なものを失った状態での暮らしへ視点を切り替えて、それでも現実を見据えなければ前に進めない。これは相当に辛いことである。

 このようなときに、予定外の手続きを強要する(かのような)電話が突然来て、混乱したまま従ってしまった。これで、3月27日付けで私たちは米沢市を転出したことになってしまう。困ることがもうひとつあって、3月末に予定していた離婚届を提出できなくなってしまったことだ。新しい住民票が来るまでの間は提出することができない。新しく住民登録をした自治体の役場へ行って届を出すことになりそうだ。よくよく考えたら、3月中に住民異動届を出さなければならないなんていう決まりなんてどこにもない。確かに学校に子どもを通わせている家庭であれば、年度内にもろもろの手続きをする方が都合がよいということでそうするのだろうが、我が家は学校へは通っておらず、学籍がどこにどうあろうと、それはさしたる問題ではない。困るのは教育委員会の方であって、書類処理上、年度ごとにハッキリしている方が二度手間にならずありがたいということなのだろう。それなのに一方的に「31日までに移転先を決めてください」と言うのはどうかと思う。

 今日の電話では、4月1日以降の学籍が宙ぶらりんになっている状態なので何とかしなければならない、転入届を出したら必ず連絡をくれということだった。最初は転入届を出す前日に連絡をよこせと言っていた(通常はまあ、そういうことになる。転出する際に、教育委員会への届出もして、その後に次の自治体へ転入届を出すのが普通だから)。現在、居住している三芳町に必ず転入するのかと尋ねられたので、必ずするかどうかはわからないと答えた。今住んでいるところはあくまでも家探しの拠点であり仮住まいなので、3月27日から起算して14日以内にもし引越し先が決まれば、直接そちらへ異動したいと思っているというと、移転先はいつ見つかるのかとしつこい。2日後に見学に行く予定の家を貸してもらえて、そこに住みたいと思えばすぐに決まるし、そうでなければ2ヵ月後になるかもしれないし、わからないと答えたのだが、「2ヵ月後ということは6月30日までになるということですか?」と念を押すようにきいてくる。こちらは数字で動いているわけではない。期限は決めていないので、それが半年後になる可能性だってある。そう説明しても一向に埒が明かず、「お役所的」ってこういうことを指していうのだろうなぁ、と電話を切った後に思った。

 家が(というよりも住みたい土地が)見つかるかどうかにかかっている。もしもう少しかかるようであれば、こうなった以上はいったん三芳町に転入し、ここで離婚届を提出して、教育委員会や学校とも一度は話し合う必要があるだろうし、それは仕方がない。数か月内に転出する予定だということであれば、特に理解のない町や校長だったとしても、それほどしつこく話をされることはないだろう。現在の学籍がある大井町は、ホームスクーリングへの理解があるという点では、とてもやりやすくありがたいところだった。これは同じ町内に、すでに4年ほどホームスクーリングをされているご家庭があることによる。彼らが当初、それを始めたときには、教育委員会との何度かの話し合いをしたらしい。当時の担当が現在の学区小学校長になっておられることもあり、私は一度だけ学校へ出向いて、ほんの10分ほど話をするだけで済んだのだった。ちなみに彼らの2人のお子さんも、同じ町内ということにとどまらず、学区までが結と同じなので、とても助かっている。


 05年 4月2日(土) 天気:晴れときどき曇り






 友人のYさんが遊びに来たいと言うので待っていたのだが、体調が優れなくて来られそうにないと電話があった。Yさんとは、連れ子の再婚という共通点がある。再婚して、すぐに男の子が生まれたところも同じ。それから、夫との問題というより、夫の親族との不和から別居、そして離婚を検討しているというところもどことなく似ている。つい先日、とても話がしたそうなYさんからの電話を、別居中の夫が家に訪ねてきていたことから切らせてもらったこともあり、彼女の話をl聞いてあげたかったし、私も話したいことがあったので、つい長話をきめこんでしまった。長いと言ってもまだ10分程度だったのだが、こういうとき決まって結がちょっかいを出しに寄って来る。穣里は都合のいいことに寝ていてくれたので、結を身振りで制しながら話を続けていた。いったん部屋を出て行った結が戻ってきて、「ホットケーキを作っていいか?」と小さな声で尋ねるので、OKのサインをジェスチャーでして、好きにさせていた。
 
 ほどなくして、台所からガッシャ〜ン! と大きな音。ここしばらく聞いたことがないぐらい大きな破壊音だったので、受話器を持ったまま驚いてかけつけると、おたまやフライヤー、木ベラなどを差し入れておいた甕が棚から落ちたらしい。そして、隣に結も転がっている。頭を抱えて泣きそうな顔をしてこらえているようだったので、「悪いけど・・・」と謝っていったん電話を切った。どうやら、床に転がっていたトイレットペーパーケースを踏み台にして、棚の上のおたまを取ろうとしたらしい。トイペケースはトウモロコシで編んだ華奢で軽いものだから、両足で乗ったらバランスが崩れておたまがひっかかったままの甕もろとも墜落した。頭は甕で打ったのか、床で打ったのかわからないけれど、とりあえずアーニカのレメディーを一粒舐めさせた。

 「バッカだなぁ・・・こんな小さな物の上に乗っかろうなんて・・・もっと安定した、ほら、その椅子とか、この踏み台とか、横着しないで動かしてきて使えばよかったんだよ。でも、たいしたことなくてよかったね、大丈夫だよ」抱きしめて頭をなでて、気持ちをなだめようとした私には、結のこの涙が、決して痛みのためだけに流れているのではないことがわかっていた。Yさんと私との会話に聞き耳を立て、母親が養父(私の夫)を悪く言っているのではないか、何を話しているのだろうかと、心落ち着かない時間だったに違いない。それで、気を紛らわすために料理を始めたけれども、うまくいかなくて痛い目に遭ったのだろう。私にも似たような経験がある。結の惨めで悲しい気持ちが手に取るようにわかった。後でかけ直すと告げて切った電話だったけれど、とてもそんな気にはなれなくて、結のホットケーキ作りに付き合うことにした。Yさんには、焼けるのを待つ間にメールを入れて状況を説明しておいた。


 焼いている間に、お昼に近くなってきて、ポストに投函されていたピザのチラシをふと手に取って見るともなしに眺めていたら、「久しぶりにこんなお店のピザが食べたいな・・・」と結。(久しぶりにって・・・宅配のピザを食べたことは多分ないと思うのだけど・・・外食するときは、イタリアンレストランに入ってピザやパスタを頼むことは多いのだが) 「そういえば・・・昨日は金曜日だったんだよね、でも父ちゃん、ピザ持ってきてくれなかったね」と私。

 夫の店では、9月の「くにうみまつり」で知り合った移動式石釜ピザ屋さんが、毎週金曜日に出張販売に来てくれていて、山形から帰ってきてから、毎週金曜日になると、お昼にピザを届けてくれていたのだった。それが昨日は来なかった。なぜなら、私がちょうど昨日、夫にメールを入れていたから。もちろん、そのことは結は知らない。離婚することで合意して、別居しているというのに、毎晩のように家にやってきて、風呂に入ったり洗濯物を置いていったり、近頃では私たちの布団に入り込んで、朝まで一緒に寝ていたりすることもあり、さすがの私も閉口して、今後は家にみだりに出入りしてくれるなとメールで申し入れたのだ。

 何も知らないはずの結だったけれど、彼なりに感じるところがあったのだろう。「あったり前じゃん!ママが父ちゃんのことあんまり好きじゃないから・・・」ものすごい勢いで口を開いた結だったが、最後のほうは泣くまいと顔をゆがめたために言葉にならず、泣き顔を見られまいと、そのまま私に背を向けた。ピザが食べられないことなんてどうでもよくて、ただ、大好きな父ちゃんが来てくれなくなったことだけが悲しいに違いない結。「父ちゃんはこれから忙しくて家には帰ってこられないから、もう引っ越すまで会えないかもしれないし、お別れを言おうね。今までいろいろお世話にもなったからお礼も言おうね」そう言って別れさせたが、その後何度も出没する夫に、結の心もとっても揺れていたと思う。夫は私たちと一緒に居ると、あたかもこれまでとなんら変わりない家族であるようにふるまう。私に対しても、子どもたちに対しても、一緒に風呂に入ろうと誘ったり、抱擁やキスを求めたり、仲良し夫婦、仲良し親子であることを確認するような仕草を繰り返す。それに対して、今までのように応えることはできずに、誘いをかわしたり無視したりする私を見て、結がおかしいと思うのは当然だろう。

 このまま結の気持ちを不安定なままにはしておけない。そう思って、少し話をした。まずは、さっきの彼の言葉から明らかになった誤解を解かなければならない。
「結はママが父ちゃんのことを好きじゃないから、父ちゃんが家に来ないんだと思っているの?ママが父ちゃんのことを好きじゃないから、別れることになったと思っているんだね?でも、それは違うんだよ。ママは父ちゃんのことが大好きで、家族みんなで一緒に暮らしたいと思っていた。でも、父ちゃんは、ママや結や穣里よりも、ばあちゃん(夫の母)やY子さん(夫の姉)やA(夫の母が主催する宗教団体で夫自身もその幹部であるらしい)のみんなが大切なんだって。それが父ちゃんの一番大切な家族なんだって。普通はね、みんなお父さんお母さんきょうだいのいる家庭で育って、はじめはその人たちが大切な家族なんだけどね、大人になったら好きな人と結婚して子どもが生まれて・・・新しい自分の家族ができたら、今度はそれを大切に守っていくものなんだよ。みんな、そうするの。もちろん、親やきょうだいだって大切だよ。でも、大人になったら、みんな自分の新しい家族と一緒に生きていくんだよ。でも、父ちゃんはそれができないんだって。そうしたいと思ったんだけど、どうしてもできないんだって。どうしてできないかはわからないんだって。やろうとしてもできないんだって。だから、父ちゃんは自分が一番大切にしたい、ばあちゃんやユキコさんやAの人たちと一緒に生きていくことにしたんだよ。父ちゃんが決めたんだからしょうがないじゃない、ね?」

 「ばあちゃんにはHさんがいるでしょ、だから、本当はHさんがばあちゃんを大切にしてあげればいいんだよ。Y子さんも結婚して今は旦那さんがいるでしょ。旦那さんがY子さんを大切にすればいいの。そして、本当は父ちゃんはママや結や穣里を大切にして生きていったらいいと思うんだけど、それができないんだって。なぜかはわからないんだって。ママは、ばあちゃんがそんなふうに父ちゃんを育ててしまったんではないかなって思うんだけどね。ばあちゃんがHさんと結婚したのはつい最近のことでしょう?それまで、自分の旦那さんとは何年も前に別れてしまって、ずっとひとりぼっちだったから、父ちゃんしか頼る人がいないと思って、父ちゃんに自分を一番大切にするようにって、ずうっと言い続けて育てたんじゃないのかな・・・だから父ちゃんの頭にはそれがずっと張り付いていて、どうしても取れないんじゃないのかな。そんなふうに思う」

 「みんな自分の家族を大切にするのに、父ちゃんっておっかしいんじゃない?」「そうだね、おかしいよね。ママもそう思うよ。でも、可哀想だよね・・・そんなふうにしか生きられないなんて、可哀想だと思うよ。そんなふうにしか育てられなかったばあちゃんも可哀想だよね。ママは、結や穣里のことが大好きだけど、結たちが大きくなって好きな人ができたら、その人を一番大切にしてくれていいって思うよ。子どもが生まれたら、子どもを大切にして。ママのことも気にかけてくれたら嬉しいけど、やっぱり自分の家族を大切にして生きてほしいよ」

 ホットケーキが焼ける頃には、すっかり元の結に戻ったように思えた。「新しい父ちゃんは、別に見つからなくてもいい」と言っていたけれど、「結だって、最初はなんとも思わなかった父ちゃんのこと、今は大好きでしょう?今は、父ちゃんがいなくなったら淋しい、父ちゃんがいた方がいいって思っているでしょう?だったら、穣里だって、新しい父ちゃんができたら、その人のこと大好きになって、一緒にいてほしいって思うんじゃないかな。このまま父ちゃんのいない子になったら、もしかしたら可哀想かもしれないよね」と言ったら、「そうだね、ま、そ〜んな人がいたらね〜っ」 この言い方が、本当に生意気で、本当にかわいかった(笑)。それで少しホッとした。とっても結らしかったから。
 




 04年 12月25日(土) 天気:晴れときどき曇りと雪


 ゆうべはクリスマスパーティー。といっても、ちょっとした洋風のごちそうを作って、みれっとファームのリングケーキを飾って、他にエミさんが作ってくれたノンシュガーケーキに豆腐のクリームでデコレーションしたものをみんなで食べただけなんだけど。

 *紅芋(沖縄の母から届いたクリスマスギフト)とカボチャのケーキ風グラタン
 *トマトソースのスパゲティーニ(細めのオーガニックスパゲティーを使いました。もちろんオイルはオルチョ・サンニータです)
 *青菜の豆乳ポタージュスープ
 *酒粕チャパティー & インドのベジタリアンカレー
 
 酒粕は、埼玉から夫が送ってくれたのです。彼の敬愛する農人の佐々木昭吉さんが、冬の間、蔵人として勤める宮城県古川市の酒蔵のもの。無農薬のお米を使ったお酒を造る過程でできる極上の酒粕です。わんさか送ってくれたので、どんな利用法があるのか調べてみたら、あるあるある!千葉県は香取郡の寺田本家(*1)さんのHPに、おいしそうな酒粕レシピがたくさん載っていました!寺田本家さんは、やはり無農薬のお米でお酒を作られる素敵な酒蔵で、房総にいた頃、デコさん(*2)たちが見学会と称してお邪魔するというのに便乗しそびれたことを思い出しました。素敵な野の花の写真を撮る尾上仁偲( おのうえ ひとし *3)さんの弟さんが蔵人として働いていらっしゃるという話も聞きました。
 
 デコさんも尾上さんもマクロビアンですが、寺田本家さんも自然派志向の酒蔵さんですから、レシピもベジタリアン向けのものがほとんどで、本当に嬉しい!美味しそうなものがたくさんある〜!ということで、ゆうべはその中から、酒粕チャパティーというのを作ってみたのです。作り方は簡単!酒粕を水に溶かしておいたものと地粉と塩少々を混ぜるだけ。あとは30分寝かせるだけということですが、半日置くとナンのように膨らむというので、やってみました。かなりズッシリした生地になったので、薄〜くのばして焼くのがいいと思います(ちょっと厚めに焼いてしまったの・・・横着して手でのばしたもんで)。インドで作っている本格ベジタリアンカレーのレトルトパックを利用して、大人はそのまま、子ども用には豆乳ポタージュスープやグラタンのホワイトソースなどを加えてマイルドなものを用意しました。このレトルトがまた美味いんですよ〜(自然まるごと結便でも紹介しようかなぁ・・・カレーだからなぁと控えていたのですが)。
 
 こういう楽しい行事を家族揃って祝えないという寂しさはあるものの、大家族ならではの楽しさに打ち消されて、素敵な夜を過ごしました。(いやぁ、でも、お腹はパンパンでケーキが入る隙間がやっとこさ・・・という感じでしたね。久々に食後のレメディーを摂ってしまいました。ナックスボミカ1粒でかなりよくなりましたが、こういうときにTS−21もとてもいいそうですよ。スパイスやミルク(私の場合は摂ってないけど)の消化を助けてくれるみたいですね。これは先輩ホメオパスの談で、最新のジャーナルに載っていました。心当たりのあるときには、ぜひとも試してみてくださいね。


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 さてさて、クリスマスといえばサンタクロースのプレゼント・・・。まさかこれを結やカズくんが読むとは思えないので暴露しちゃいますが、今年のサンタは私でした!みんなが寝入るとき、実は穣里に添い寝オッパイの私も一緒にグースカ眠りこけてしまったのですが、たいてい1〜2時ごろには目が覚めるのです。ああよかった、まだ明け方前だった・・・と胸をなでおろし、万一の場合に備えて(笑)サンタさんの帽子をシッカリかぶり(さすがに髭まではつけないが)、結の枕元にはチャーチャン(私の母)からの大きなオセロゲームと空手着の包み。包みの中には夫が送ってくれたお菓子を少しずつアソートした袋も入ってるよ!そしてカズくんにも同じ空手着(これはチャーチャンからカズくんへのプレゼント)とお菓子、トランプみたいなヨーロッパのカードゲームを私の新品くつしたに入れて・・・。穣里には引っ張るとカタカタ楽しい動きをしながらついてくるカラフルな木のおもちゃ。ユウちゃんには、ジャグラーボール(大道芸人が使う小さなボール)と木製の海の仲間パズル。

 子どもだけしかプレゼントもらえないなんてずるいかな〜、ということで、エミさんにはお料理レシピブックを2冊、司朗さんにはオーガニックコットンのトランクス、新月と木の素敵な関係について書かれた本をこっそり置きました。もちろん、自分にもプレゼント。何にしようかなぁと迷った挙句に、「実用ホメオパシー」という、ホメオパシー出版の最新刊を選びました。(これがとってもいいです!救急箱のかわりに基本キットを使っている方、この本を持っていると2倍3倍と使い方が広がりますよ!)

 夫にプレゼント送ってあげられなかったことに気づいたのですが、もう今からじゃ遅いし、お正月に会いに来てくれるというので、そのときまで取っておこうかな。編みかけのマフラーを仕上げてあげようか・・・。穣里のチョッキや結のマフラーも編みたいから、毛糸を探して送ってもらおう!(この毛糸、買ったのは結が生まれる前のことです・・・暖かい沖縄から千葉へ帰省した冬、突然に毛糸が恋しくなって衝動買いしてしまったものの、沖縄に戻ると編み物する気にはとてもなれず、放置されていたものなんです)


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 クリスチャンファミリーのエミさん一家、クリスマスの合同礼拝というのを先日の日曜日に済ませてきたということなのですが、今夜はそれとは別に、教会で特別な催しがあるそうなのです。なんでも毎年25日には、曹洞宗のお坊さんから教会宛に巨大なクリスマスケーキが届くのだとか!去年はタタミ一畳分ぐらいの大きなケーキに目を見張ったそうです。それを礼拝の後、参列した全員に切り分けてくださるというので、チャッカリついて行くことにしました。

 教会に行くと、あったあった!早めに到着したので人はまばらですが、時間がたつとみんなに囲まれてタイヘンだよ〜というので、今のうちに写真をパチリ!今年は2段になっているので、タタミ一畳というほどの面積はありませんでしたが、大きなスクエアケーキ2段の上に、ヘンゼルとグレーテルを読みながら夢見たようなお菓子のお家が載っています。チョコレートで作られた牧場の柵が張り巡らされ、動物達や男の子や女の子が遊んでいる・・・という夢のあるケーキ。

 礼拝が終わる頃には、穣里はオッパイをたらふく飲んで寝入ってしまい、おんぶヒモを持たずに来た私は、両手で横抱きしながらケーキのお皿を受け取り、やっとの思いで席へ。子ども達は真っ先に食いついていると思いきや、お目当ての飾りが載ったお皿が配られるのをジ〜ッと辛抱強く待っている・・・母は牧場の柵ひとかけで我慢してるのに(笑)。他のおりこうさんな教会っ子とは明らかに違う2人・・・お〜い!目立ちすぎだよ、キミ達・・・。



「全部食いたい〜」と怪獣に
なっているのがカズくん
隣りで喜びを隠せないのが結
(分け前は何百分の1ってこと
わかってるのかなぁ・・・?)





 04年 12月22日(水) 天気:雪・・・!




今日の雪景色、いいでしょ?
エミさん宅のお隣さんです


 一昨日は10月並みの気温ということで、子どもたちが外遊びをするときにも上着を着せずに出したほどの暖かさだったのが、昨日はさすがに冬至ということもあり、ちらほらと雪が舞いました。ただ、大き目のヒラヒラした雪で、「これは積もる雪じゃないな」という友人の言葉通り、一日中降っていたわりには積もることはなく、地面に落ちては溶けて滲み込むだけ。「冬至」といえば「ゆず湯」というイメージがあって、どこに住んでいても銭湯へ行きたくなるのですが、最近ではシャンプーのニオイが鼻についたり、入浴剤が入っているのがイヤだったりで、温泉でもなければわざわざ外湯に入る気がしなくなっています。
 
 その点、この辺りはとても恵まれていて、大人300円、こども100円程度の入力料で誰でも入れる温泉施設がたくさんあるのです。「冬至だから温泉行かない?」と、同居のエミさんたちを誘ってみたら、近くに田んぼの中の一軒宿があるからそこへ行ってみようということになりました。4月に露天風呂ができたばかりということで、湯温の高すぎる内湯は避けて、ヒノキ造りの露天風呂に直行しました。源泉かけ流しのそのお湯はけっこう熱めなのですが、さすがに外気で冷やされるらしく、かなりのぬる湯。穣里は生まれたときからぬるいお湯が大好きなので、ちょうどよかった。

 雪の季節だけなのでしょうが、周囲をぐるりと透明のトタン板で囲ってあり、天井にも同じトタンがかかっていました。よく行く別の温泉では、露天風呂には笠(「かさじぞう」の笠!)があり、雨の日にかぶってみたことがあるのですが、こんな雪の舞うときにはさらに風情が出そう・・・なんて思いながらトタン越しに見える風景に目をやると、見渡す限り田んぼが広がり、白い雪が舞う・・・なかなかいいですねぇ。穣里は雪見酒ならぬ雪見オッパイで、とても幸せそう(笑)。司朗さんとカズくんと男3人組で男湯に入っていた結は、出てくるなり「ここ、泊まることもできるみたいよ。一度でいいから泊まってみたいなぁ・・・」だって。それより田んぼに囲まれた一軒家でも借りたほうがいいんじゃないのかなぁ・・・と思ってしまう私。だけど、住むなら平坦な田んぼの中よりも、傾斜のある棚田とか、段々畑が好みなんだよねぇ。


 この日、いつものように穣里を寝かせながらうとうとと寝入り、夜中に目が覚めてみると月経が始まっていました。「ああ、思い立って温泉に入っておいてよかった!これから数日間は無理だモンね」と嬉しくなって、ついでに最近使っている「コズミックダイアリー」(13の月の暦)でチェックしてみると、12月22日は「律動の月10日」に当たるようです。そして、先月の記録を見てみると、「倍音の月8日」に始まっている。右脇についているお月様の絵をたどっていくと、どちらも出血がほぼ終了する4日目が13夜になっているので、つまりは私の月経は月のリズムと連動しているらしいことがわかります。

 「13の月の暦」というのは、古代マヤ文明でも利用されていた暦で、1月1日から始まる現在の「グレゴリオ暦」と違って、自然に沿った周期になっています。1ヶ月が30日だったり31日だったりするグレゴリオ暦に対して、こちらではひと月28日とキッカリ決められていて、それが13回(つまり13ヶ月)繰り返されて余分の1日(この日を「時間を外した日」と呼ぶ。毎年7月25日がその日)を足して1年となります。新しい年の始めは、なぜか毎年7月26日。だから、7月20日に生まれた穣里は、さしずめ年末の生まれということになるのかな・・・。でも、晦日、大晦日、1年の締めくくりで云々といったグレゴリオ暦のような慣習はないので、「年始」「年末」という感覚はどうも持ちにくいような気がします。ただ、毎年7月の25日には、世界中の聖地などで「時間を外した日」を祝うお祭りが盛大に開かれています。


 このカレンダーは月の自然なリズムと連動しているので、これを意識して毎日を送るようになると、だんだんと自然の感覚が甦ってくるらしいのです。本来は、動物も植物も月と密接な関係を持ちながら、その影響を大きく受けながら生きているはずなのですから、それを呼び覚ましていけばいいわけです。女性の月経周期が28日なのも、そもそも「月経」という呼び名があることも、人の体の仕組みが月の影響を大きく受けていることを証明していますよね。また、新月の晩に切り出した木材は、何年経っても腐ることはないという本を読んだのですが、そういう不思議な現象にもうなずけるものがあります。地球上に存在しない化学物質を作り出すなどということではなく、こうやって昔から地球に存在しているミラクルを究明することこそが、ほんとうの叡智と言えるのではないでしょうか。

 13の月の暦は、いくつかの種類が商品化されており、カレンダー形式のものもあれば、このような日記タイプもあります。私は、この日記タイプを妊娠日記や育児日記にすることをお勧めします。この暦を意識して生活に取り込むことで、きっとあなたの暮らしが、より自然に近づいていくと思うのです。同じようにこの暦を使ったり、そうでなくても自然と寄り添いながら暮らしている人との共時性(シンクロニシティー)もどんどん起こるようになります。だって、同じ自然のリズムに乗って生きているんだもの。波長が合ってくるのは当然のことなのですよね。できたら、この日記がシステム手帳のような感じで、もっともっといろんなことに使えるように工夫されるといいのだけれどなぁと思います。誰も作ってくれないなら、私が作ってもいいかなと思ったりしているんですが(・・・ということがたくさんありすぎるんだよね・・・時間もないくせになぁ。でも、時間がなくても実現する方法が、何かあるような気がしてきているこのごろなんですよね)。

 


こちらは昨日の雪(?)景色
エミさん宅の巨大駐車場です
雪は細かくて見えませんね

雪の姿をカメラに収めようと
携帯カメラのシャッターを
何度も切っていた結です


 04年 12月18日(土) 天気:晴れ


 昨日は父の命日だったのでした!それをすっかり忘れて、せっかく作ったご馳走をすっかりたいらげてしまった・・・バチあたりな私。「ごめんね、お父さん」 でも、数日前、沖縄の母宛に「くすの木せんこう」とりんごと自然食材を送っておいたので、きっと母から美味しいお供え物があったことでしょう。それで勘弁してね・・・。

 私には2つ違いの兄と3つ違いの弟がいるのですが、どちらも一度も結婚したことがなく(多分、彼女いない歴が生まれてからの年月に等しいのでは・・・?さすがにそれはない?)、いまだに一人暮らしをしています。兄はガチガチの独身主義者で、「高齢者福祉は金で買えばいい!」などと豪語し、「子どもは可愛いと思うが、甥っ子たちでじゅうぶんだ」と母にのたまっていたらしい。一方の弟は、研究職で朝も夜もない生活をしており、若い女性と知り合う機会は滅多になく、毎日触れ合う相手といえばゲージのなかのラット君たちだけという淋しい生活。しかし、「結婚を捨てたわけじゃない!いつかしたいと思っている!」と、やはり母相手に力説していたそうです。

 真ん中の私は、「恋多き女」(それを「声大きい女」と友人が聞き間違えて大爆笑したことがあったんだけど・・・)と称されたこともあるぐらいで、結婚もすでに3回しています。初回は同棲(・・・すでに死語?)に毛が生えた程度の結婚生活で、式もしなかった。でも指輪は買ってもらいました。2度目は、できちゃった婚でもないのに、理由あって1歳の結を抱っこしての結婚パーティー。自作のウェディングドレス姿に、母の目は涙ナミダでした(この式は、自分が結婚式を挙げてもらえなかった母の悲願だったのですよ。でも、結果としては、この母の強引な希望によって無理に式を挙げたことがきっかけで・・・まぁ、あくまでもきっかけではありますが・・・直後に離婚することになっちゃったんだよね・・・笑)。指輪はもらわなかったけど、妊娠中、導かれるようにエイトスターダイヤモンドを自分で買いました(お腹の赤ちゃんのためにね)。3度目は、ふたりが知り合ったきっかけとなったネットワークの仲間に囲まれて祝賀パーティー。簡単なものだったけど、ウェディングドレスも着たのです。そして、出産一ヶ月前の大きなお腹を抱えて、秩父の山中の農園ホテル結婚式場で、またまた特大ドレスをまとって式を挙げたんですよ!
 
 だから、母はもう3回も自分の娘の結婚式を経験しているというわけ。兄弟たちの分も、シッカリ私が代行しているわけだから、じゅうぶん幸せと言えましょう!気の毒なのは父でした。2度目の結婚の報告に実家を訪れてからきっかり1ヵ月後に突然死。年が明けてすぐに妊娠していることがわかったのですが、父は私の妊娠も知らず・・・つまり自分が孫を持つことになろうとも知らずに亡くなってしまったのでした。子煩悩でマメだった父なので、生きていたらきっと子どもたちのいい遊び相手になってくれたんだろうに、残念です。

 父は、子どもがそのまま大人になったような人でした(以前の日記にも書いたことがあったのですが、ページがどこかに消えてしまって、なくなってしまったのです)。お葬式の後、一緒の車に乗り合わせた父の従兄弟たちが、「なんでもハッキリ言うんだけど、マコ(父のこと 名が「誠」だったので)が言うと憎めなくてね〜、あんな天真爛漫なヤツも珍しいよなぁ」と、一緒に東京へ出てきて下宿生活していた頃を懐かしむように話してくれました。自分の故郷よりも、妻(私の母)の身内の家を訪れるのが好きで、しょっちゅう出かけて行っては、「あ〜、美味しかった!」と、出されたものを平らげ、ゴロンと横になって寝てしまうのがパターン。ただ、何か頼まれると即座に立ち上がり、フットワークも軽く出かけていくのです。本当に便利で、手がかからず、何でも食べてくれるというので、母の姉妹や兄弟の奥さんたちには評判のよい父でした。

 母がただひとつ間違ったのは、父を「髪結いの亭主」にしなかったことじゃないのかな、と思うことがあります。母は結構オシャレな美容師で、神奈川や東京の美容室を任されていたのですが、結婚してすぐに仕事をやめたのです。それは、これまで働いてきたどの美容院でも、亭主がグウタラのヒモ男みたいだったのがイヤで、自分の夫には断じて「髪結いの亭主」になってほしくなかったからだそうです。しかし、父は何でも自分の思い通りにしたい人なので、とても人の下で働いていることはできず、若い頃から独立してあれこれと仕事にチャレンジを重ねてきました。そのたびに、手伝って、苦労して、挙句ビジネスが上手くいかなくなると、慣れない職場に働きに出たりして・・・美容学校へは行ったけど、学歴としては中卒なので待遇も悪い。何十年も経ってみて考えると、「どうしてせっかく持っている資格を生かして美容師をしなかったのよ〜?」ということになるのですよ!でも、やっぱりどうしてもイヤだったんだそうです、「髪結いの亭主」が。

 私は、父こそ「髪結いの亭主」になるために生まれてきた人だったと思うのですがねぇ。男としての多少のプライドはあったみたいですが、ノンビリ楽しく好きなことしたいタイプの人で、趣味の津軽民謡を唄ったり(教えてもいたのです。結婚式場で唄っていたことも)、庭やベランダでチャボやら犬やらを飼ったりと、そんなささいなことで十分幸せを感じられる父でした。そして、何でもいいから3度のご飯が家で食べられれば満足・・・と、実に安上がりで単純な人だったのです。逆に母は、根っからの職場人間で、入った職場には忠実に尽くす・・・ビックリしたのは、ふだんは家の中の掃除ひとつしない母が、職場では上司とただふたり、床に落ちたゴミを拾って歩いているという話を聞いたときでした。父とともに、思わず耳を疑ったものです(笑)。最初っからこの母が外へ出て、父が家の中でノンビリやっていたら、我が家はもっと幸せだったんじゃないかな、たぶん。

 こうして書いている後ろでは、父の忘れ形見とも言える結と穣里が寝ています。ふたりの父親はそれぞれ違うのですが、顔立ちに共通しているところがやっぱり見受けられます。穣里を見ていると、同じ頃の結にソックリなのです。そして、結の顔は、亡き父に実によく似ていると思いながら育てたのです。実は私、父がくも膜下出血で倒れて昏睡している枕元にささやいたことがあるのです。「お父さん、もうダメだろうから、今度は私の子になって生まれておいでよ。可愛がってあげるから!美味しいものもたくさん作ってあげるから!」

 父はたまに実家に帰ったときに作る私の料理をとても喜んでくれていたので、私のあの言葉を真に受けて、本当に生まれ変わってきたのではないかな?と思ったものでした。赤ちゃんの頃の結の笑顔は、本当に父ソックリだったのです。でも、今になって穣里が生まれ、やっぱり父の生まれ変わりはこのやんちゃでクソ度胸のある穣里の方かも?という気がしています。きかん坊で、自由気ままで、周りのことなどお構いなしの末っ子気質。あまりにも似ている・・・。

 この子たちの寝顔を見ていると、吉本有里さんの歌を口ずさみたくなります。

     ♪ まんまるい君の寝顔 何よりの幸せ運ぶ 
             君と過ごす毎日 それだけで幸せ
          ありがとう 生まれてきてくれて ありがとう
                   君の光 ありのまま 愛おしい ♪

そうそう、この有里さんのCDを自然まるごと結便でも扱う予定ですよ!もうすぐアップしますので、お楽しみにね。

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親子やきょうだいって不思議
一緒に寝ていると
いつの間にか同じ格好して
寝てるんですよね
猫もそうなんだけど・・・


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 04年 12月17日(金) 天気:曇り(ちらっと雪も!






上:会場は熱気ムンムンでした
 

下:お重があったらよかったのにね!

 お世話になっているエミさん宅からほど近い亀岡公民館で、おせち料理の講習会をした。2週間ほど前に遊びに来た、町内でも人気の「抜かない・削らない・痛くない」歯医者さんの奥さんが、「動物性食品や砂糖を使わないお料理ではおせち料理が作れない・・・」とポツリともらしたひと言がきっかけで、「それじゃ、年内に講習会でもしましょうか?」という運びになったのだった。当初は、自宅の台所では狭いからどこか場所を借りて・・・でも、4〜5人程度でこぢんまりと考えていたのだが、「あの人も興味あるはず、あの人も、あの人も・・・」とエミさんが声をかけるうちに、参加者は10人近くに膨らんでいた。一度は司朗さんが本職の板前さんにも声をかけてしまったりして、内心ゾゾ〜ッとしたのだけど、都合が悪かったらしく、欠席された(あ〜、よかった・・・)。
 
 なんでも直前にならないと火がつかない私なので、今回も案の定、当日朝になってからレシピ作り。もちろん、何を作るかは数日前に決定して、夫の店に食材の注文も出していたのだけど、みなさんに配るレシピをイラスト入りでわかりやすいものにしよう・・・ということで、早朝4時に起きてさっそく作成開始!13品のレシピ食材リストつきを刷り終えたのは、出発直前の9時30分だった(アセアセ・・・笑)。今回の企画と準備を引き受けてくれたエミさんは(というより、彼女が中心になってドンドン進んだ企画だったのだけど)、私とは正反対で、なんでもキッチリ準備するタイプ。しかも事前に、ちゃんと時間の余裕も見て・・・だからきっと、始まるまでハラハラし通しだったでしょうね。私は場当たり的なところがあるからなぁ・・・。

 実は、つい先日、自然食品ネットワークのお仲間さんから、業務用に使えるコピー機をとても安く譲っていただいたのです。今はブルーのトナーが入っているので、とりあえず手持ちの白いリサイクルペーパーに20部ほど刷りました。うん、うん、なかなかいいぞ。そうそう、マムだよりの歳末号もこれと同じ感じで刷ったのですよ。自然まるごと結便ご利用の数人の方には、届いていることと思いますが。黄色や青のリサイクルペーパーに刷っても、なかなかいいかもしれませんね。セピア色というトナーがあるらしいので、もしブルーがなくなったら、黒とセピアを両方買って、使い分けながら活用したいと思っています。Sさん、本当にありがとうございました!(Sさんは最近、FAXとコピーができる複合プリンターというのを購入されたそうなんです。だから、たった2年しか使われていないLモードのFAX機もご不要になったということで、こちらも来年早々に田舎暮らしを始める母のために、格安で譲っていただきました。本当に助かっちゃった!)


 さて、話は戻っておせち講習です! 開始は10時ということだったんですが、数分遅れて、エミさんらしくきっちりと、会の主旨や講師(私、ワタシ!笑)の紹介などスラスラと・・・(彼女の本職は結婚式等の司会なんですよ〜!)。それからいよいよ調理開始。野菜のカット、あわせ調味料づくりなど、その場その場で必要な役割をボランティアでどんどん引き受けてもらい、13種類同時進行で進みます。ガスコンロは全部で5口、調理台が2つ。まな板や包丁はたくさんあるけど、あれ?菜箸はないの?(笑)キッチンばさみは?これもない・・・。ミキサーはないときいていたので持参、また、お鍋もアルミのものしかないというので、エミさん宅からステンレス製のものをどっさり持ってきました。お水も水道水ですからね、やっぱり美味しいお料理のためにはポリタンクにつめて持参・・・だから移動がけっこう大変でした。沖縄で「雑穀料理の会」を毎週やっていたのが懐かしく思い出されました。(雑穀料理数種類を子連れ数人で作って、冷凍可能状態にして山分けしてテイクアウトするという会を催していたことがあったのです)

 この日の参加者は、お若い方は20代前半から、多分70代ぐらいまで? みなさん、高畠や米沢にお住まいで、エミさん&司朗さんを囲んでナチュラルハイジーンやそれに近い食生活をしていらっしゃる方ばかり。それでも、「三河みりん」や「丸中醤油」など、こだわり調味料の逸品に触れる機会というのはこれまでにはなかったらしく、本物ばかりで作った色とりどりのお料理に満足されてお帰りになりました。終わったあとの笑顔、それから「楽しかった!美味しかった!」の感想を聞いて、とりあえずホッとした私です。このなかには、ホメオパシーに関心を持たれているお母さんなども数名いらして、1月にはそちらのセミナーも開催することをお約束して帰ってきました。それを機に、私もホメオパスとしての活動に本腰を入れて行きたいと考えています。

 今のところ、東北のセンターは岩手の2つだけ。しかも両方とも獣医さんで、人をみることはしないのだそうです。一番近いのが新潟のセンターということになり、2〜3時間かけて、しかも3ヶ月以上の予約順番待ちという状況のなか、みなさんエッチラオッチラ相談に通われたりしているのですよ。私が東北初の人対象(笑)センターを設立できるか、はたまた住居が定まらずにどこか別の土地に移ることになるかはわからないのですが、いずれにしても、親しい親戚の家感覚で、この高畠・米沢地域とは末永いお付き合いをさせていただきたいと考えています。月イチの定期勉強会とか、小さな相談会とかね、そんな企画があってもいいかなと思ったりしているのです。(そして、米沢市内の自然食品店にときどきオッパイのマッサージにいらっしゃる助産婦さんが、なんとRAHに入学されたそうですので、私が数年やったあとを引き継いでいただくことだってできますものね。とても頼もしいです!)

 現在、自然まるごと結便の事務業務等をエミさんに引き継いでもらうために、いろいろな作業中です。なかなか進まない私と、スラスラと進むエミさんのペースが合わずにおりますが、年内にはほとんどのことをエミさんひとりでこなしてもらえるようになるのではないかと思っています。このHPの管理人も引き受けてくださるということで、私はサイトオーナーに昇格予定です(笑)。そしたら、もっともっと内容を充実させることができるはず・・・と思っていても、実際には子どもたちの相手があったりで、そうもいかないのですよね。だけど、やっぱり今よりは少しは充実したページづくりができると思いますよ。どうぞお楽しみになさってくださいね。

 

 

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 なんと1年以上もの間、更新を怠っていた「イトキチ日記」です。
もう、このページを開くことはやめてしまった・・・という方も多いことでしょうね。

 更新できなかった理由について、ちょっとだけお話いたしますね。実は今回、同時にアップした下の4月末の日記・・・ずうっと以前にアップしかけておきながら、できなくなったワケがあったのです。
それは、下の日記に書いたような計画が頓挫して、同時に私たち夫婦・家族の行方がどうなるかも知れない「未明の時期」が今日の今日まで続いてきたためです。

 今、山形に母子3人で来ており、MOMの拠点も仮ではありますがこちらに移転しました。恐らくもう埼玉に戻ることはないでしょうが、ここではないどこか他の土地に移ることになるかもしれません。夫も一緒かもしれないし、別々かもしれない。今の段階ではまだなんとも言えないのですが、これからは、こうした近況もポツリポツリと独白していこうと考えています。あまりに悩みすぎ、また夫やその周囲も巻き込むことになるので、氏名等プライベートな部分も公表しているHP上に載せるのがはばかられていたということがあるのです。書き始めると、嘘や隠し事がなかなかできない性格上、どうしてもこのページに向かうことのできない日々だったのですよね。決して怠惰だった(だけという)わけではないので・・・どうぞご容赦くださいませ。

 これからの展開をお楽しみに!


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 04年 11月17日(水) 天気:晴れ


 山形に来て10日ほど経ちました。お世話になっているエミさん一家は、旅行シーズン直前のこの時期、近隣の温泉旅館の格安パッケージなどを利用して、毎年1泊旅行をすることにしているのだとか。お互い再婚家庭で、しかもそれがほとんど同じ時期!(彼らの結婚式の日が、私たちのプロポーズ記念日とほぼ同じ頃・・・)だというのに、もう家族の習慣がそんなふうにできあがっているなんて、うらやましいなぁ。すべてが仕事中心ですべてが行き当たりばったり(たまたま仕事がポッカリと空いた日に、突然どこかへ行こうと言い出す夫ですから・・・)の我が家とは大きな違いだなぁとうらやんだら、「去年、一度行ったから、今年も行こうか?という程度の話なんだけどね」とエミさん。今年は飯豊(いいで)温泉というところの、「フォレストいいで」という宿にみんなで行こうかと誘われて、出かけてきたのです。

 ちょうど、翌18日の午前中いっぱい停電になるということで、石油ファンヒーターが主な暖房源であるエミさん宅では、天気が悪かった場合など想定すると、どちらにせよどこか暖かいところへ避難せざるを得ない状況だったのです。山形は寒い・・・んだよねぇ。でも、なかなかのドライブ日和で、日が落ちる前にチェックインして、通された和室の大きなはめ殺しの窓から、眼下に広がる湖と、その向こうに聳える飯豊の山並みを満喫しました。紅葉はほとんど終わってしまったけれど、冬枯れてきた山の風景もいいもんだなぁ。美しい風景というのは、傷ついた心を癒してくれますね。

 さて、肝心のお風呂なのですが、実は温泉ではなかったのです!残念なことに、男女別に別れた大浴場は今流行りの(?)アロマバス。それぞれの入口に、日替わりのアロマの香りとお湯の色が記してあり、本日の女湯は「ローズ」の香り、色は「ローズピンク」なのだとか・・・。早速、穣里と一緒に入ってみると、温泉ではないというわりにはポカポカあたたかいいいお湯でした。でも、色はかなりどぎつくて、一緒に入った年配の女性が「なんか、紅しょうがみたいだなぁ」とポツリ・・・心の中で思わずうなずき大爆笑!部屋に入ってお茶をいただいたときに、珍しく緑茶ではなくブレンドの野草茶だったので喜んでいたのだけれど、お風呂の方もそういうふうにはいかないのかなぁ・・・「ヨモギ、柿、どくだみ・・・」なんていう、まさにブレンド茶に入っていたようなものを入れて薬草風呂にでも仕立てた方がよほど好評を博すのではないかと思われたのですが・・・。だって、木肌の自然さを強調したペンション風の建物の割には、サービス期間だったせいか、地元のオジサン、オバサンだけで賑わっている感があり・・・「アロマって何?」の世界のように思えたのです。なにしろ「ローズ」も「紅しょうが」になってしまうんだから(笑)!
 もうひとつの旅の楽しみといえば、なんといっても「食事」ですよね! とはいえ、お読みになっているみなさんもご同様でしょうが、思う存分食事を楽しめる旅というのは、そうはないものです。どんなに豪華な食卓でも、肉・魚・卵・牛乳・・・では、食べられるものがほとんどなかったりして、高額であればあるほどガッカリしてしまったりして。去年の2月に、生後半年になった穣里を連れて九州へ旅行したときには、穀物菜食の知人宅に1泊(阿蘇)、ベジタリアン料理にも対応している自然食ペンション(リンクもしている「海猫屋」さん)に1泊(同じく阿蘇)、そして福岡に住む夫の母の連れ合いのご実家(こういうケースは「ご」をつけるのが正しいのでしょうか?それとも身内なのでつけないのが正しいのでしょうか?どなたかご存知でしたら教えて!書くたびに悩むのですよ。この「連れ合い」も「お連れ合い」にするべきなのか・・・?って)でお夕飯をご馳走になり、近所の「シーホーク」という高級ホテルにお部屋まで取っていただいたのですが、ご馳走になった食事は手づくりの家庭料理で、食材も夫の店のものを普段から利用してくださっていたので、安心していただくことができました。

 それで、「フォレストいいで」の夕飯ですが、まぁ、多くを語るのはやめておきます。でも、お肉は基本的にナシ(にしてもらったそう)。魚介類はやはりどうしてもメインになってしまっていましたが、ありがたいことに和食だったので穣里にごはんを少しだけ分けながら美味しくいただきました。夕飯についてはこれでオシマイなんですが、その後のデザートとしていただいたものについて、特記しておきたいと思います。それはなんと・・・「なめこソフトクリーム」というシロモノなのです!宿に車が近づくと、「なめこソフト フォレストいいで」という幟が立っていたのを見逃さなかった私なのですが、地域特産のソフトクリーム(例えば、長野や高畠では「ワインソフト」なんていうのを食べてみました。これはだいたい食べる前から想像がつく味だけど、「なめこソフト」って、一体どんなんだろう?子どもたちも期待いっぱいになってしまったので、じゃあ半分こして食べてみようよということになったのです。

 注文してから出てくるまでに少し時間があったので、カウンターに貼ってあった地元紙の切り抜き記事を読んでみました。すると、これはやっぱりこの宿のオリジナル商品らしい。他にも春には「わらびソフトクリーム」などを開発し、季節に合わせた販売をしているらしい。この時期でなかったら、めぐり合うことができなかった「なめこソフト」なるものは一体・・・味についての記載もある。「アーモンドの風味が残る」とある・・・!だって、「なめこをそのまま加えたソフトクリーム」と書いてあるよ!それでアーモンドの風味ってどういうことだ? それが、一口食べてみて納得・・・本当にアーモンドの風味がしたんですよ。しかも、なめこが練りこんであるから、見た目もうっすら薄茶色に、点々となめこ色が混じっていてね、これは黙って渡されたら、アーモンドの皮が点々と見える「アーモンドソフトクリーム」だと誰もが信じて疑わないはず!ビックリの美味しい初体験でした。



双子じゃないの?
ともっぱら宿泊客の
噂の的になった2人
生年月日が同じと知って
みなさん、これまた驚き!

「よ〜く見ると全然違うけど
雰囲気が似てるんだよね」
と隣に座ってたおばさん

そうそう、その通り



フルーツの後に
大好きなバターロール
たくさん食べておなかいっぱい!



ハーブ畑は冬に向かい
ちょっと淋しそうでした
 さて、朝食のバイキングではちょっとしたハプニングがありました。エミさん一家の食生活は、朝〜午前中はなるべくフルーツだけという「ナチュラルハイジーン」に則ったもの。私たちも似たような傾向で、たとえ他のものを食べるにしても、まずはフルーツを先に食べるようにしているんです(理由は、生の果物は消化に30分ぐらいしかかからないが、その他のものは2時間程度かかってしまう。そしてその2つが胃腸の中で混ざり合うと、毒素が発生して身体によくないから)。なので、当然、バイキングだと最初にフルーツの大皿を目指します。みんながみんな、テーブルを一緒に囲んでいる大人3人、子ども3人(穣里はさすがにまだほとんど食べないので)がいっせいにそれをすると、大皿に盛られていたカットフルーツはきれいになくなってしまうんです。

 本当なら、食事の一番最後まで残っているはずのフルーツが、こんなに早い時間に、しかも一気になくなってしまって・・・エミさんによると、一度少しだけ補充されたそうですが、再びなくなってしまった後は、そのまま放置されていたそうです。もしかしたら一日の全量を私たちでいただいてしまったのでしょうか?だったらゴメンナサイ・・・でも、食後にフルーツ食べるときっと身体によくないから・・・食べないで済んだことはよかったかもしれないですよ〜、なんて密かに思ったりする私でした。すみません。

 これと似たようなことは帰りに寄った農家レストランでも起こりました。「エルベ」というなかなか素敵な、小さなハーブ園つきのレストラン。地元の農家さんが作った野菜を中心にした、パスタと石釜焼きピザのお店です。こちらのサラダバイキングはすごいですよ〜。小さなお皿ですが210円(税込)。それがなんと、おかわり自由なんです!もうおわかりでしょう?フルーツに限らず、同様に水分をたくさん含む生の野菜をたくさん摂りましょう!という「ナチュラルハイジーン」ですからね。しかも、こちらのサラダは本当に新鮮でみずみずしいのです。エミさんのお友達も加わって、大人4人、子ども3人でそれぞれ何往復したでしょう?入ってすぐに注文したピザやパスタがやって来る前に、すっかりお腹がいっぱいになってしまった私でした。でも、ひとつだけもったいなかったのは、ドレッシングが砂糖入りと思われる甘いものだったことです。3種類のすべてが、おそらく手づくりではなく、どこかのメーカーの大きなペットボトルから注がれているような味と香りでした。オルチョサンニータと自然塩とで食べたら、どんなに美味しかったかなぁと悔やまれます。次回お邪魔する機会があったら、マイオイル&マイソルトを持参しなくっちゃ!

 こうして楽しく過ぎた2家族合同の1泊旅行でした。農家レストランに同行したエミさんの女友達のお家にも寄らせてもらったのですが、ちょうど2年前の私と同じように、5歳の男の子とお母さんとの2人で、力を合わせて借りたばかりの古い田舎家。私たちの方にやや軍配が上がるかな?という程度の古さでしたが、なんだか当時がとても懐かしく思い出され、自分が求めていた暮らしの原点を思い起こさせてもらったようでした。やはり、早いところ落ち着ける土地、落ち着ける家を探して、私の暮らし、家族の暮らしを実現していかなければ・・・そんな気持ちになった1日でした。(それにしても、彼女の場合は雪深い田舎暮らしを母子家庭でというのだから、天晴れ〜!果たして私が真似できるかな・・・)


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 04年 4月25日(日) 天気:晴れ(ときに強い風)



お兄ちゃんの
「いないいない、ばぁ〜」に
大喜びの穣里!

この日のスナップ
ではないのです

実は旅先のホテルの
ベッドの上なのでした
 今日は日曜日。とてもよく晴れているので、公園には子ども連れのお父さんがたくさん。結のお父ちゃん(私の夫)は休みではないので、代わりに私が公園へ連れて行ってやろうかなと思い、誘ってみた。夫の店から歩いて1〜2分のところに、通称「5号公園」(正式名称は「西原中央公園」)と呼ばれる大きな公園があるのです。ひと通り遊具が置いてあるスペース、これだけでもかなり広い。その隣には、ちょっとワイルドな遊具と、長い長いコロコロ滑り台(お尻が痛くなる、アレです・・・)。そしてそのまた隣には、何もないグラウンドのような場所もあり、キャッチボールなども楽しむことができます。

 自然のなかでの遊びには叶わない、こんなところが「いい遊び場」だなんて感覚は真っ平だ!と、内心思わなくもない私なのですが、走り回る場所があるだけでもありがたいと思わなければならない新興住宅街ですから・・・感謝して使わせてもらわないといけないかなと、最近は少し反省しています。実は、どうしても田舎に住みたい、戻りたい!という私と、地元で店を続けたいという夫との間で、長い間の確執がありました(今でも続いていないわけではないのですが)。私はどうしても地に足がついた暮らしがしたい。春になるとそこかしこに野草が芽吹き、自然の恵みがふんだんに溢れていたあの大多喜での暮らしが忘れられないのです。季節ごとに自然に親しみ、自然の恵みを分け与えられながら毎日を「暮らす」ことで一生を終えるような人生を望んでいるのです。

 それでも夫はどうしても今の店をこの場所で続けたいというのです。それで、どうしたものかと・・・いろいろ考え、衝突もした上で、私が到達したとりあえずの結論です。
県内に自然の溢れるいいところを見つけて別宅を構え、母子で毎日暮らしながら、店の休みの日の前後は夫が田舎家を訪れ、その他の日に我々も店の方を訪ねるなどして、週の半分は一緒に過ごせるようにする・・・なんていう案も出たのですが、結局のところ、しばらくの間はこのままここに居続けることにしたのです。まずは相手の幸せを考え、寄り添うことから始めてみる・・・私にとっては珍しいパターンの決断なのですけれどね。これって、レメディーのおかげでパターンをくずすことができたのかどうか・・・不明ではありますが。

 5月には夫の姉に赤ちゃんがが生まれます。それに伴って、近々彼女も店から去ることになります。3月いっぱいで辞めてしまったもうひとりのスタッフとともに、夫の今の店を開店当初から一緒にやってきてくれた義姉だったのですが、妊娠・出産は「おめでた」とも呼ばれるだけあって素晴らしいことです。スタッフの退職も、とても輝かしい転職のためのステップで、それぞれにとって、この店を去ることが新しい出発点になるのです。それならば夫も、2人がいなくなったことを、マイナスでなくプラスに転じさせる意気を持って当たらなければならないでしょう。義母も義姉も、「今度のことでは迷惑をかけてごめんなさいね」と言ってくれたのですが、私にしても、これをマイナスとは考えたくない。むしろ、我が家の転機として、家庭のあり方、夫と私の「仕事」というものについて、貴重な学びの機会にしたいと思ったのです。

 この4月から、普通なら小学校に上がる年齢の結ですが、学校へは行かずに、これまで通り家にいる「ホームスクーリング」という形を選びました。それもあって、できるだけ家族みんなで同じ時間を共有し、そのなかで触れ合い、学びあい、影響しあって暮らしていきたいと思っています。店の業務は、保母を退職(休職かな?)した夫の妹と、自然農法の経験もある義母のお連れ合いが手伝ってくれることになったのですが、私と結も、従業員としてではなく家族として、「お父ちゃん」の手伝いをしていこうという気持ちでいます。GWの連休中に店内の配置換えをするというので、それと同時進行で子どもたちが居易いスペースを作ってもらい、家族みんな(スタッフも含めて)で食事ができるように環境を整えてもらうつもりです。
 
 私も5月半ばには晴れてホメオパスとなれる予定ですので(試験があるんですが・・・その前に勉強しなければならないのですが!笑)、店頭では簡単な相談にも乗りながら、ホメオパシー関連商品や書籍なども並べられるMOMのスペースも作ってもらいたいと考えています。穣里はまだまだいたずら盛りで目が離せないし、オッパイも当分は飲み続けるだろうし、結のこともできるだけ丁寧に育てていきたいし、そんな私にできる仕事というのは、自然と限界があります。「赤ちゃんを抱えて身動きのとりづらいお母さんたちの助けになりたい」と思って始めたこの仕事ですが、今は私がその「お母さんたち」のひとりでもあります。人は、与える時期と受け取る時期があっていいのではないか。今の自分は受け取る側に回ってもいいのではないか・・・最近はそんな風に考えるようになりました。

 これは男性にも言えることだと思うのです。子どもを育て、家庭を育む時期というのは、独身だったりある程度子どもから手が離れたりして余力がある人たちに多くを頼り、自分はできる範囲での仕事や社会参加をするのが理想的ではないでしょうか。そして、子とともに生きることからの学びや、家庭におけるマネジメントの経験が、その後の仕事にどれだけ役立つことか。それらが役立つような仕事をしてこそ、私たちが望んでいる幸せな社会を作ることにつながるはずです。もちろん、夫婦のふたりともが完全に仕事をやめてしまうということは不可能でしょうし、仕事や社会との関わりが家庭生活にもたらす素晴らしい贈り物もあるでしょう。自分のキャパシティーを考えながら、優先させることがらを間違えることなく、周囲との協力関係を築いていくことが大切ですよね。

 実は私、これまでは、この「協力関係」というのが苦手でした。自分でやった方が手っ取り早いし、ひとりの気楽さというのもあります。ですが、子どもを産み育てるうちに「これは勉強だなぁ」と思うようになったのです。子どもがいたら、思うことの半分もできない。ひとりだった頃の2〜3割程度がいいところでしょうか。それでも、子どもを泣かせたり、よそに預けたりしてまで、家の中をキレイにしたいとか仕事をしたいという欲求は私にはないものですから、適当にやってきました。でも、いざ片付けなければならないときや、これぐらいはどうしてもやらなければ・・・やりたい、ということが出てきたとき、ひとりではどうにもならず、誰かの手を借りなければなりません。そうすると、問題もたくさん出てきます。相手がいるわけですから、自分ひとりで好きにやっていたようにはいきません。

 それでも、そんないくつものイザコザ・・・まずは夫婦のイザコザ、それから親子(自分の親に対して)、仕事の相手(同僚や上司や取引先など)・・・を乗り越えて行くことに学びがあるのではないかと思ったりするのです。みな自分の思った通りに考えたり行動したりしてくれるわけではありません。母子家庭の頃はよかった!自分の天下で、可愛い子どもと2人、天国のようだったと思ったりするのですが、いやいや、実はこの可愛い子どももやがては大人になるのです。ひとりの人間として、私とはまったく違った考えを持ち、行動をし、私を驚かせたり、ときには悲しませたりもするようになるのです。愛する子、愛する人、しかし自分とは別個の人間。それらとの関係をいかに築き上げていくか。自分にあるものを供し、ないものについては相手を頼ってなんとかやっていく・・・そういう学びを意識的に始めるときが来たのだなぁと、最近つくづく思うようになったのです。

 

 

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 03年 10月12日(日) 天気:雨のち曇り



携帯メールで
送られてきた
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(便利な世の中!)
 今日はなんと、お父ちゃん(数ヶ月前から夫をこんなふうに呼ぶようになっている)とふたりで、サン・スマイル(夫の店)主催の稲刈りツアーに参加。母から離れて、宮城県古川市の農家さん宅に一泊する予定!
思い起こせば、ちょうど去年の今頃、今の夫との初デートにでかけたときには、房総の友人宅でお留守番をしていてくれた。その数ヶ月前、ホメオパシーの学校の帰り道、サン・スマイルに仕入れの用で寄り道したときもそうだった。(たしかそのときが初めてだったかな・・・?)帰りの電車に揺られながら、「ずいぶん大きくなったもんだなぁ」と感慨深い気持ちになったのを覚えている。


 先月、6歳になった翌日から沖縄へ一人旅もした。とはいっても、行きは実父と、帰りは祖母(私の母)と一緒だったのだが。それにしても、私から遠く離れてお泊りができたなんて、スゴイ!
7月に穣里(みのり)が生まれたときにも、私がクリニックに入院している間は、祖母とふたりで家に残っていてくれたのだった。なんと、4泊も!

 今まで甘えたいだけ甘えさせて、おんぶと言えばおんぶ、抱っこと言えば抱っこ、オッパイと言えばオッパイ・・・とにかく、要求に目一杯こたえてやっていれば、5歳ごろをめどに、きっと満足して自分から自然に離れていく・・・それまでは下手に自立を促すようなことはしたくないと考えてきたけれども、この1年ほどの間に、まさに自立の道を歩き始めている彼。

 弟が生まれてから9月末に引っ越すまでの短い間にも、産後の養生で出歩けない私を家に残し、買ってもらったばかりの自転車を乗り回しながら、ご近所でシッカリと社交していたらしい。産後ふた月ほどして、ようやく穣里を散歩に連れ出し始めたら、「結くんのお母さん?」「これが結くんの弟?」と、みんなが声をかけてくるのでビックリ。大人、子どもを問わず、誰とでも友達になってしまうらしい。一番の友達は裏のお宅の同齢の男の子。二番目はお隣の個人タクシーの運転手さんの奥さん。三番目は数軒離れたお宅の赤ちゃんのお母さんとおばあちゃん。引越しの挨拶周りのときにも、さんざん名残を惜しんでいただいた。

 ものおじせずに誰とでも仲良くできるのはたいしたもんだなぁ。大人子どもの見境なく、誰にでも対等な口をきくもんだから、ときどきヒヤッとさせられたりもするのだが、礼儀というのはワケがわかる歳になれば、自然とわきまえられるようになるものだと思っている。上から無理やり押さえつけて「いい子」に仕立てるよりも、心から行動できるようになるまで待ったほうがいい。一緒にいるとそれがなかなか難しくて、ついつい口うるさくしてしまいがちなのだけれども・・・(この親、しつけはどうなってんだ?って思われたくないがために・・・)。
 
 「可愛い子には旅をさせろ」と言うけれど、そろそろ親元を離れて、人に揉まれ社会に揉まれて、体験の中から何かを学び取れる時期が来たんだなぁ。
確かにちょっと淋しいけど、同時にとても頼もしいものを感じます。まぁ、親離れしてきたとは言っても、穣里の飲み残しを搾乳器がわりに飲んでもらっているうちに、すっかりオッパイっ子に戻ってしまっているお兄ちゃんなんですけどね(笑)!

 

 

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 03年 5月 4日(日) 天気:晴れ


 なんと、前回のイトキチ日記をアップしてから、実に半年以上経ってしまった!
みなさんご存知のように、10月半ばに突如始まった恋愛(えっ?そこまでは知らなかった?笑)が再婚に発展して、私と結は埼玉の新興住宅街に引っ越すことに・・・。
 
 環境も変わり、友達も変わり、結は今、上福岡市の保育生協に通っている。通っているとはいっても、もともと集団保育に乗り気がしない私は、必要以上の送迎はしないことに決めて、朝のバス時間に間に合うよう起きられなかったときには休んでもらうことにしている。集団保育があまり好きになれないわけは・・・

そもそも子どもは、家庭で育てばよいと考えている。家族とともに寝食し、生活に伴う家事手伝いをしながら成長していけばいいのではないか?と思うのだ。幼稚園や保育園、学校などに行くことが「主」となり、通園や通学のために、親や周りの大人たちが世話を焼き、当の子どもは家事にも関わらずに毎日を過ごしてしまうというのは、なんだかちょっとおかしな気がする。

●家にいると、自分の好きなように遊びを組み立てて、ときに退屈しながらも、創造と工夫に満ち溢れた時間を過ごしている。これが集団保育となると、園の方針で毎日のスケジュールが決められてしまう。遊びっぱなしということが許されなかったり、個人のペースで好きなことに没頭することもままならなかったりする。また、季節の行事ごとに、例えばこどもの日が近づくと、決まった材料を与えられ、作り方を教わって、みんなで同じこいのぼりを作ってくる。母の日には「お母さんの絵」を描かされ、そこに手作り、または造花のカーネーションを添えてプレゼントといった感じだ。家で節句に向けてこいのぼりを一緒に立てれば、すかさず自分で手ごろな材料を探し出して、同じようなものを作ろうと工夫する。ときに、創造を絶するような面白い仕掛けを考え出したりして、驚かされることも多い。そういう自然発生的な想像(&創造)力がスポイルされてしまうのは、もったいないことだなぁ・・・と思ってしまう。

●これが学校となると、ますますいろんな問題が出てくるので、できたら進学してほしくはない・・・だが、園に通っていると、卒園に向けて「もうすぐ一年生だよ、お兄さん、お姉さんになるんだよ、小学生だよ、ランドセルだよ!」という植え付けがされていく・・・学校へは行っても行かなくても、それは個人の自由なんだということをベースに子どもと接してくれるところは、まずなさそうだ。そうすると、学校へ行かない選択をすることが、「特殊」で「おかしなこと」という意識を持たせることになってしまう。
 保育生協に通いだした理由には、この土地を地元として普通に育った夫の意見がまずあった。「友達と遊べないのはかわいそう!」と言うのだ。たしかにそれも一理ある。それで、とりあえず●どろんこになって遊べる●喧嘩ができる●予防接種を受けなくても構わない●動物性食品を食べない自由を保てる・・・そういうところだったらいいかな、と思って探してみたところ、地元の友人の紹介があって見つかったのだった。

 園の方には、キャラクターはなるべく排除して・・・という姿勢はあるようだが、やっぱり子どもたちの中にはテレビが浸透しているみたいで、結も最近は日曜日になると早起きして、「アバレンジャー」と「仮面ライダー555」を見るようになる。そして早速、鋏とセロテープを駆使して、変身グッズを作り上げた(笑)。出来上がると、鏡の前に立ってアレコレとポーズをとる。ヨコに走ったり、ジャンプしながら一回転したりして、完全になりきっている。こりゃもう、しょうがないか・・・と、横で見ている私も、すでに諦めの境地・・・。


ヘ・ン・シ・ン!

 

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 02年 10月 8日(火) 天気:曇り


 日記の更新がなかなかできずにいるうちに、すっかり秋になってしまった。朝晩は少し寒くなってきて、今年の冬は薪足りるかなぁと心配になってくる。隣のお兄さんはアリのようにせっせと家を直し、土を耕し、薪を集める。対する私はまるでキリギリス。あちこち移動が忙しく、冬支度が進まない。

 9月末から行って来た長野の「ひょうこまキャンプ」では、車に全財産を積み込んで全国を移動している親子もいた。いざとなったらああいう手もある!と思うと、少し救われた気持ちになってくる。これまで数十回の引っ越しも、途中まではすべての荷物を行く先々に移動していた(母曰く「乞食の引っ越し」)。それが最近、海を越える引っ越しが増えたこともあり、身軽に動けるようになってはきているので・・・真のジプシー生活突入も、そう遠くない話かもしれないな。

 さて、この「ひょうこま」、ふだんは埼玉の高麗川付近で行われている。ジャンベ(西アフリカの太鼓)作家の吉田ケンゴさんという人が発起人なのだが、集まってきた人がティピやらテントやらを思い思いに張って、期間内、好きなだけそこで暮らして帰る。もちろん日帰りで参加しても構わないし、関わり方は自分次第。たいてい、ジャンベを中心とした楽器の使い手たちによるセッションが始まったりと、音楽が中心になることが多いようだが、基本的にはノープログラムですべてが自然発生というユニークな催しである。

 日本各地のヒッピー&音楽系祭りを渡り歩いていた一家から、話題のカスピ海ヨーグルトを分けてもらった。近所に何人か、種を育て続けている人がいたのだが、なかなかいただく機会に恵まれず、車で数時間かけて持ちかえることに。キャンプ場近くのスーパーで手に入れた有機大豆の豆乳を加えて、家に戻って何時間ででき上がるかな〜と楽しみにしていたのだが、発酵が進み過ぎて分離し始めてしまった。(帰ってすぐ、疲れてバタンキューしたもんで・・・目覚めた頃には遅過ぎた〜)

 ま、しょうがないか・・・ということで、ここからさらに種をとって、買い置きの豆乳をまぜて再度チャレンジ。今度は時間に気を付けながら・・・。そして、酸味の出過ぎた豆乳ヨーグルトは、紙パックに入れてシロップを混ぜ、冷凍庫へ。アイスクリームになれば、結も喜んで食べるのではないかと思って。

 町に下りたついでに買ってきたアイスクリームコーンに入れたら、立派なヨーグルトアイスクリームになりました!しばらく解凍して、やわらかくすると、とってもクリーミーになります。固いままだとシャーベット風です。お友達の家でコーン入りアイスをご馳走になって以来、このコーンに乗ったアイスクリームというのが、彼の大のお気に入り。嬉しそうな顔してるでしょ?

 市販のアイスクリームは、質はともかく、量が多すぎますよね。シングルでもドカン!と乗っていて。当分は自家製で楽しんでもらおうっと。え?夏はもう終わってる?ホント〜、そうでした。6個入りのコーンがなくなったら、後は来年のお楽しみにしておこうか。

 

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 8月25日(日) 天気:晴れときどき曇り


 ここ十数年、日本の四季を離れて暮らしていたので、こんなに早く秋の気配が訪れたことにビックリしている。お盆を過ぎたら・・・関西から戻ったら途端に秋模様である。夏の間にやりたいことがたくさんあったのに、とにかく冬支度だけはしておかなければ!と気持ちがやや焦り気味。

 家の補修はさることながら、数ヶ月もの間ずっと気になっていた車の整備をまず始める。実は、関西に出かける前にタイヤを全交換しておいた。恥ずかしながら、パンク以外にも定期的にタイヤを交換するということを、友人から聞いて今年初めて知った。生前、父が大切に乗っていた車。譲り受けたときには新車同様ピカピカだったのに、いつの間にか8年モノのポンコツ車になってしまった。カスリ傷もヘコミもまったく気にならない性格で、最近ではマフラーの損傷が原因らしい、ブォォォォォォンという排気音にも慣れっこになってしまっていた。

 従兄弟に車を動かしてもらったときに、「タイヤがずいぶん磨り減っている」と言われ、気にしていたところに沖縄のスタンドからDMハガキが届いた。開けてみると「夏の高速、事故の原因ナンバーワンはタイヤの損傷!」とある。これはやっぱり、そろそろ交換しないと危ないというお告げかな?と思って、隣のお兄さんに近辺の整備工場情報を尋ねた。「タイヤを交換しようと思って・・・」と、タイヤについてしばらく話しをした直後・・・なんと!お兄さんの愛車のタイヤがパンクしているではないか!これにはふたりともビックリ。こりゃあいよいよ、急げ〜!というお告げに違いない。

 それで、翌日すぐに交換したというわけ。また、数日前に千葉市内のショップでエンジンオイルとエレメントの交換。ついでにマフラーの損傷箇所も教えてもらって、アルミテープを買って自分で補修もした。さらに、以前から目をつけていた、クォンタムの力で燃料を完全燃焼させるという触媒も取り付けて、今、エンジンは絶好調。排気ガスのニオイもほぼ完全になくなり、燃費が上がるのも間違いなし。

 隣のお兄さんには、「音が聞こえなくなっちゃったから、出入りがわからなくてつまんねぇな〜」と言われている。なにしろものスゴイ音だったから・・・集落中に鳴り響いていたもんね(笑)。「オラオラオラオラ〜ッ!」って感じで走りまくっていたんです。整備工のお兄さんにも、マフラー交換について尋ねたときも、「ウチにはスポーツ仕様のしかないからウルサイですよ。それでもコレよりは小さくなると思いますけど」なぁんて言われちゃったぐらい・・・。音で集めた視線が沖縄ナンバーに注がれ、目立つことしきりだった愛車も、今ではおとなし〜く快走しています。


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 8月3日(土) 天気:晴れときどき曇り


 紹介してもらった町内の間伐材を扱っている材木屋さんが、材木を届けに来てくださった。これでやっと修繕が進む!早速、薪置き場を作ることにする。幸い、薪ストーブをもうやめるというお宅からと、近所の天然酵母パン屋さんの庭先から、それぞれ大量の薪を分けてもらうことができた。チェーンソーを買って(高い!3万円前後する)、雑木林に分け入って頑張らないことには冬支度ができない・・・と思っていたんだけど、もしかしたら次の冬の分はこれでなんとかなるかもしれない。

 田舎暮らしに必要なのはチェーンソーだけじゃなくて、草刈機・・・これはやっぱり買わないわけにはいかないかな。手刈りで頑張ってみたけど、もう限界みたい。とにかく夏草の伸びる勢いといったら・・・このエネルギーを何かに利用できないのかな?と考えたくなってしまうぐらいだ。今日はご近所さんが草刈機持参で手伝ってくれたけど、いつまでもお願いするわけにもいかないし、そろそろ自前で準備しないとなぁ。たしかカタログハウスの本に、女性でも扱いやすい軽量草刈機が載っていたはず・・・沖縄からカタログを送ってもらおう。

 これからやりたいこと。西側の雨戸締め切りになっているのを外して、ガラス戸と網戸をはめ込む。ガラス戸は不用品をもらえることになったが、網戸とレールを自分で作らなければならない。ぶち抜かれている壁を補修し、珪藻土を塗る。6畳間の畳を自分で張替える。結のおもちゃを飾る棚を作る。冬までにお風呂もなんとかしないといけない。ヒノキ材を手に入れて、風呂桶を作りたい。それから、小笠原さんが風呂釜も自作できると言っていた。薪ストーブもそろそろ寿命みたいだ。買いかえるなら、煙突のパイプもふた回りぐらい大きなものにして排気をスムーズにしたい。

 家の中だけでもこれだけやることがあるのに、草刈、畑、田んぼ、水汲み・・・田舎の暮らしは本当にやることが尽きない。「パートナーもなしに田舎暮らしだなんて、キ○ガイ沙汰だよ」と言われたっけなぁ・・・。女所帯なので、その分ご近所が助けてくれるけど、とりあえず結が半人前になるまでは甘えさせてもらうしかないなぁ。本当にありがたいことです。

 でも、これだけのことをやった他に、PCに向かわなければならない時間もかなりあって、結は最近、不満が多いのです。「ママともっと遊びたい!」が口癖になってしまいました。やっぱりもうひと頑張り、結に向き合ってやらないとならないのかな・・・。期待に応えて、あれもしたいこれもしたいと欲張ってしまいがちだけど、我が子第一という決めごとが守れていないような気がするこのごろ。8月もいつの間にかイベント目白押しで、毎日慌しく過ぎてしまっている。走り出してしまうと、軌道修正は難しいんだよね。



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 7月4日(木) 天気:晴れときどき曇り


 今日はケース見学があり、初台に出かけた。結は最近ずいぶんと仲良しになった同じ歳のミントくんの家でお留守番。ひとりで出かけるときは、長い乗車時間も勉強の時間になる。なかなか読み終えられなかった先月のテキストをやっとこさ読破できてホッとする。でも、毎日決まった時間に勉強する習慣をつけないと・・・そう思いながらもう何ヶ月も過ぎてしまったなぁ。

 クライアントによっては見学を断られることがある。 今日は初回の人がそうだった。せっかく片道3時間以上もかけてやってきたのに、トホホ・・・と思うけれどしょうがない。ちょうど行ってみたいと思っていたホメオパシー書店(相談会を行っているRAHビルからは徒歩15分ほど)に、一緒に見学する予定だったクラスメートと出かけてみることにした。

 2件目からはスムーズに見学できて、帰りにミントくん宅へのお土産にルヴァンのパンを買いに。たくさん歩いてたくさん買って・・・このまま帰りたいけど、もう一軒寄らなければならないところがある。北海道の銀手亡という幻の白インゲン豆。オンラインショップでも注文を受けたが欠品中。ということで、埼玉にあるサン・スマイルさんという卸元店を、見学を兼ねて訪ねてみることに。なにしろ、ひとりで動き回れる機会というのは滅多にないし・・・。

 新宿から1時間半ほどかかってようやく到着。お邪魔して話し込んで、帰り際に時計を見たらもう8時半を回っていた。結はどうしているかな?(後で聞いたら、ミントくんの家には、農薬の空中散布から避難しているホームスクーラーファミリーが泊まっている最中で、夕食後はたくさんのお兄ちゃんたちと花火を楽しんでいたらしい)

 めずらしくひとりぼっちの帰りの電車。時間の過ぎるのが長かったこと・・・。もうちょっと小さかった頃は、ひとりで外出することなんて滅多になく、稀にそんなことがあっても、結のことが気になって仕方なかった。絶対に泣いているだろうなぁ・・・と。ところが今回はそうではなかった。最近はすっかりお兄ちゃんになって、聞き分けもよく、ひとりでも大丈夫ということが増えてきた。そういえば、もう2〜3ヶ月もすれば5歳になるのだ。

 子どもには思いっきり甘えさせる。無理に親離れさせようとはしない。母親のそばにひっついて離れようとしないぐらいがいい。それは親の愛情をたっぷり受け、甘えることの素晴らしさを知っている証拠。そして、好きなだけひっつかせておいた子は、4〜5歳になったら、自分からスッと自立していく。思う存分に甘えて、自分で「これでよし!」と満足して離れて行くので、その後はとてもラクである。親子ともに充足感があり、本当に自立した親子関係が築けるようになる。

 そう信じてこれまでやってきた、その4〜5歳というのが、まさに今なんだなぁ・・・。もうひとつ、「七五三は大切なけじめ」と『天才と、キンピラゴボウの作り方』の小倉さんが言っていたのも思い出す。「5歳まで無事に生きたら20歳まで大丈夫」と、キッチリお祝いしてあげるんだと言っていた。結も今年、七五三を迎えるんだなぁ。

 1歳半のときに離婚してからずっとふたりでやって来たけれど、これからはきっと何があっても大丈夫だな。たとえ私に万一のことがあっても・・・何かの事情で、父親側に引取られて暮らすことになったとしても、結には「人としての優しさ」「ものごとを自分で判断する力」、そういう大切な基本的なことを、とりあえず身に着けさせることができたと思う。ひとりになっても、どんなところへ行っても、きっとたくましく生きていってくれるに違いない。

 そんなことを考えながら、涙があふれそうになるのを堪えながら電車に揺られて帰った。もう少しでひと区切り。そうしたらまた、自分のやるべきことがだんだんと見えてくるんだろうな。


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 6月29日(土) 天気:曇りのち雨 

 ちょっとした晴れ間に田植えの準備をしたくて、お友達を借りに岬町まで。往復1時間かかってしまうのが痛いんだけど、楽しく遊んで待っていてもらえることを思えばしょうがないか・・・。代掻きといって、田んぼに水を入れたときに水が外に漏れないよう、畔の内側を塗り固める作業。しかし、泥状に練った土は重くて、スコップですくうのがた〜いへん!ここは水の利がとってもよいところなんで、それほど固めなくてもいいみたい?つい最近、田植えを終えた隣のOさんのを見ても、それほどガッチリはやっていないみたい。これなら左官屋さんが使うコテでやったほうがうまくいくかもしれない。

 お昼ご飯を食べにいったん家に戻ると、雨が降り出してしまった。結が楽しみにしているNHKの連続小説「さくら」を見て、完全粉そうめんをあったかくして食べる。小2のお姉ちゃんは青シソの香りをとっても気に入っているが、4歳児のふたりは臭くてイヤだという。こういう薬味がOKになる年齢っていうのは、いつぐらいなんだろうか?味覚の変化って不思議だなぁ。

 食後、3人がノリノリに遊び始めたので、私は台所に置く棚を作ることに。蛇口つきの水タンクを置くと流しの横がいっぱいになってしまうので、棚を作って立体的に利用しようという考えだ。角材でモノを作るとき、カンナが1本あると仕上がりが違う。ビスで留めようと思ったけど、不安定なのでとりあえずスクリュー釘で固定し、それからビスで補強。途中、ちょっとサイズの測定ミスでやり直しも入ったけど、結構スムーズに完成!これにナチュラルなワックスをかけたいな。来月お邪魔する予定の家具職人さんのところで分けてもらって来ようと思っている。それまでカビないでね!
 子どもたちはよく遊ぶ&よく食べる!おやつにピザを焼く。全粒強力粉に天然酵母と塩、水とオイルを混ぜてちょっとだけ発酵させたものをのばして焼くだけ。ちょっとカラ焼きしたあとにオリーブオイルを塗って、輪切りの完熟トマトを載せて塩をふる。焼けたらバジルとオイルをもう少したらして終わり。それから、数日前に掘ったばかりの新ジャガの小さいのだけを素揚げしたもの。作っているうちにもう6時過ぎだということで、ペンネを茹でてお醤油、夏みかんの絞り汁、オリーブオイルで和えて海苔をパラパラ。

 今夜はワールドカップの3位決定戦!大好きなイルハン・マンシズがいるトルコ戦だから見逃せないな〜。で、子ども達を送って、そのまま一緒にTV観戦させてもらうことにした。うちの10インチ画面の4倍以上ある!すごい、選手の顔がハッキリ見える!TVを見はじめたときにはすでに2−1でトルコがリード。まだ15分しか経ってないのに3ゴールも決まってる???なんと開始後10秒でトルコが先制していたんだって?ビックリだ。

 なんとイルハンも今日は先発ではないか!ひとつゴールも決めてるというし、うわぁ〜、見損なってしまった。ブラジル戦でも2トップでいったら勝てたかもしれないのに、残念だったよね。あぁ、でもトルコに帰ってしまうというのがもっと残念!しかし、彼は27歳とまだ若いし、4年後には更に強くなって再び楽しませてくれることに期待しよっと。ゴールも追加して3位決定したし、あのラストのみんな一緒に手をつないでっていうのも良かった!だいたい、トルコの選手はみんな人柄がいい。相手の選手への優しさと礼儀正しさが試合の端々にそれが感じられた。それでいて勝負はきちんとしている。なかなかできることではないよな〜と思う。やっぱりイギリスへのスクーリングは、トルコ経由にしようかな・・・。(と、すぐに影響される・・・これがフォスフォラス体質だっていうの)


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 6月23日(日) 天気:雨


 今日は朝からずっと雨。でも、米づくりを始めてから、雨降りがそんなにイヤではないのが不思議。気分はすっかりにわかファーマーである。霧のような小雨のなか、近所のホームセンターへ。隣のお兄さんに教わった、障子戸の枠を利用して作る網戸にチャレンジしてみようと、網戸用の網を買いに行く。外がよく見える(ということは中も丸見え?でも、田舎だから大丈夫〜)黒い網3巻と、新しく作ったPCデスクの上に取り付ける予定の棚板を買う。ビスと真鍮釘と、それから棚固定用のL字もいるな〜。ホームセンターと金物屋は大好きで、ついつい余計なものまで買ってしまいそうになるから注意が必要。

 レジで精算。ついうっかりしているとビニール袋に商品を詰め込まれてしまうのだが、そんなときには結がすかさず「袋いらないって言わないでいいの?」と牽制してくれる(口うるさい男になりそうだな〜)。材木の積み込みは結がお手伝い。大工仕事してるといっつも「う〜ん、手伝わなきゃなんないか〜」としかめっ面(横で爆笑したいのを堪える。「何もしないでくれた方が助かるんだって!」)。相変わらずの雨なので、部屋の中に丸ノコを持ち込んで作業する。PCデスクの棚、それから結のコーナーを作るために、6畳間の壁面に奥行き10センチの棚を2段つける。ついでに台所の流し横にもコンタクトレンズや歯ブラシなどを置く棚を作りたいのだが、今日はとりあえずここまで。

 「もっとお出かけしたいな〜」とつぶやいた結に、指きりげんまん(「ゆびきりげんまい・・・」と言う)で温泉に連れて行く約束をしてあったので、そろそろ行かないと。車で5分の距離だけど、着いたのが7時過ぎ。8時までだと思って焦っていたけど、受付けで9時までやっていると聞いてホッ。だけど、今日はいやに塩素のニオイがムッと充満しているな。外へ出るとさすがにニオイは消えて、雨のせいかひんやり、でもお湯は暖かくて気持ちいい!200円ぐらいで入れるんだったら、毎日来てもいいんだけどなぁ〜。月間パスみたいなものはないんだろうか?今度きいてみよう。

 秋までには、小笠原さんに教わって、ヒノキの浴槽と薪釜を手作りしたいと思っている。それを友人に話したら、「引越しする度に風呂桶運んで行きたくなっちゃうよ」と言われた。本当にそうかも!



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 6月17日(月) 天気:久々の晴れ


 久しぶりに晴天に恵まれたので、外仕事を思いっきり片付ける。朝一番はまず車の掃除。いつも山の中にいると、なにかと無頓着になりがち。おまけに、最近は一般のガソリンスタンドでなく、エピオンというアルコール系燃料(環境により負担がかからない次世代エネルギーということで注目されている)を入れに、余計なサービス無しのスタンドに通っているため、洗車してもらう機会はまったくない。

 それで、昨日のファミリーコンサートで駐車場に車を入れたとき、なんとなく自分の車だけが目立つような気がして・・・おまけに中に入るともっとヒドイ。結と2人で乗っているときには感じないのだが、ひとりで乗るといやに気になる。結が集めた小石や木の枝、レンコン飴の包み紙(これも絶対に捨てるなと言い張る)、折り紙、藁クズ、乾いた土のかたまり・・・そろそろなんとかしなければ・・・と思っていたのだった。

 まずは外から。シャワーで水をかけて、セルローススポンジで擦っていると、案の定、来た来た・・・。「結くんもおてつだいした〜い!」そこで、スポンジをひとつ渡して反対側を洗ってもらう。スポンジにたくさん水を含ませては絞るのが楽しくてたまらない様子。何度も繰り返しているうちに、シャツもズボンもビショビショ。ズボンを脱ぎに家に入ったのを見計らって、今度は中の掃除。小石、木の枝はそのまま庭にポイポイ。折り紙、飴の包み紙はゴミ袋に入れて・・・と、すかさず見つけて、「あれ〜?結くんのたいせつなもの、捨てちゃうの?」

 「捨てるわけないじゃん〜、袋に入れておかないと掃除機で吸っちゃうでしょ?」
「あ〜、そうか〜。結くん間違えちゃった。捨てちゃったのかと思った〜!」(ごめんね〜、後で捨てちゃうよ〜。でも、結局いつも気がつかないんだよね・・・「たいせつなもの」は次から次へと出てくるからね・・・笑)

 車がピカピカになったところで、今度は梅仕事!先月、鴨川の山の中から採ってきた梅を、黄色くなるのを待って漬けたものにカビが生えているのを発見したのだった。なんの気なしに湿度計を見ると、90%!それじゃ、カビも生えるわけだよね〜・・・ということで、とりあえず今のうちにカビ取り処理をしておこう。

 まずは表面のカビ(うひゃ〜、固まってる)を箸でのけていって、梅をひとつかみずつ焼酎で洗う。そうしたら大きな梅干用ザルに並べて天日干し。その間に、梅酢をセラミックの鍋に移して煮立て、甕はよ〜く水洗いして乾かしてから焼酎を含ませた布巾で内側を拭く。3甕分を干して、最後に2甕にまとめて塩を足して、おしまい!ひと甕空いたから、この間、近所で分けてもらった梅も漬けちゃおうっと。




右手前のどんぶりに焼酎を入れて
中で数個ずつ梅を洗う
あとは並べて天日に干す
 洗濯物もほぼ乾いた。結が久々に大きな地図を書いた布団も干した。シーツも乾いたし、あ〜、良かった!お次は苗の定植。庭の奥のほうの、何ヶ月も前に耕してもらったままになっていた土地に、あれよあれよという間に雑草がビッシリ、それも30〜50cmはある草丈・・・これを刈って土の表面を出し、適当に畝を作って、ナス、ブロッコリー、セロリなどを植える。

 それから、庭の入り口の無法菜園も、少々整理してみることに。いくら自然農といっても、これはないだろうって感じのスペースで、雑草と野菜の区別がほとんどつかない状態になっている。ていねいに雑草を刈っていくと、草に負けていたらしい細ネギがあちこちから顔を出す。そういえばこの辺に植えておいたんだよね〜。紫蘇、リーフレタス、それから明日葉、ナス、コリアンダー・・・分けてもらった苗を手当たり次第に植えていく。コンパニオンプランツなんていう言葉も頭をよぎるが、川口由一さんも言うように、どれとどれを一緒にということは考えるとキリがないのでやめる。

  最初に移植したトマトは、もう2週間そこそこで実がいくつもなってきている。これは調理用のイタトマかな?3種類あったはずのトマト、どれがどれだかもうわからなくて、とにかく適当に植えているんだけど。ゴーヤ、スイカ、メロンなどもあるが、日当たりが良くて面積が広く取れるところというのが難しい。そろそろ畑(徒歩1分)のジャガイモが収穫期だから、ジャガイモをとりのぞいて植えてみようかな・・・。

 さて、庭仕事が終わっても、まだ家の中の仕事が残っている。昨日買っておいた材木。今日こそはテーブルと机を仕上げなければということで、早速開始。直径150cmの大きな円テーブル(座卓)をもらったのだが、置く場所がない。それで、天板がふたつに割れるのをいいことに、それぞれ別のものに活用することにした。まず半分は、ちょうど直径と幅が同じぐらいの食器棚の背中につけて、PCを置く机にしたい。上に棚も作って、ダイニングの真裏をオフィスにしようと思っている。

 残りの半分は、シッカリした脚をつけて、キッチンカウンターにしたいと思う。今は、真四角のダイニングテーブルを使っているが、これが半円になったらもっと動きやすく、スペースにも余裕が出そうな気がしている。そして、このダイニングテーブルは、ダイニングから一段上がった6畳の和室に置いて、リビングにしたいな〜。今まではPCを置いた座卓が占領していたけれど、オフィスに移して広々したら、結が遊んだり、私が手仕事をしたりするのに最適な場所になりそう。

 家の中を少しずつ使い勝手よくしていくのって、なんとも言えない楽しさがある。古くて生活感のある家が私は大好きだ。暑い夏が来る前に網戸と縁側を作って・・・と、やりたいことはまだまだたくさんある。私が大工仕事をすると、必ず結はつられて大工遊びを始める。こうして一緒に過ごしているうちに、家ぐらい自分で建てられる、たくましい男に育って行ってくれるよね!


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 5月25日(土) 天気:晴れのち曇り



なんと、いきなり夏日になってしまった。まるで沖縄にいた頃のような陽気だ。すかさずはしごを立て掛けて簡易物干しを増設し、洗濯物を大々的に干しまくる。今日は夕方、習志野でクラス会があるんだけど、天気がいいうちにどうしても田んぼに寄りたいな。小笠原さんがれんげを刈り取ったみたいだから、種を分けてもらっておかないと・・・。

とりあえず速攻でやるべきことを済ませ、田んぼへと急ぐ。苗床をのぞくと稲は順調に育ってくれている様子で安心。田んぼにじか播きした分は、まだ発芽が確認されていない。植える場所が稲の株元だったのがいけなかったのかな?もっと土が多いところが良かったのかな・・・よし、残りの種籾を株元近くの土に播いてみよう。

道路を挟んで隣接している小笠原さんの田んぼから、枯れたれんげを背負子に入れて3回ほど運ぶ。この間コシヒカリをじか播きしたところとは逆側から、今度は緑もち米を播いてみる。辺りの草を素手で刈りながら、ていねいにかぶせていく。この辺りにはスズメが多いけれども、こんなやり方している人はいないみたいだから、この敷き草の下に米粒が埋まっているとはよもや気付かないみたい。今のところ被害はゼロ(だと思う・・・)。去年は小笠原さんばかりが被害に遭っていたそうだが、今年もそうだといいなぁ(笑)。

このじか播き方法は、スズメに気付かれないかどうかが最大のポイントだとSさんが言っていた。気付かれたら最後、すべて食べ尽くされてしまう・・・!まぁ、そうなった場合は米をあきらめて、雑穀栽培にでも切替えるとしよう。あまり深刻に切羽詰ってやると、楽しみが少なくなってしまう気がするので、気楽に、気楽に


夕方からクラス会。21年ぶりに会う中学時代の友人たち。もちろん結も連れて行くのでオシャレはできないが、ちょっとお化粧してみたら反応がすごく面白かった!車で山を下りる最中、いつものようにこちらをチラチラ向きながら話をするのだが、視線がしばし私の顔の上で止まり、つまりいわゆる「釘付け」状態になってから前方に戻る。「今日はどうしてそんなにママの顔見るの?お化粧しているから?」と尋ねると、コクンとうなずきながら、「かわいいな〜と思って・・・」と口にしかけてデレデレに照れてむこうを向いてしまった(笑)。


そういえば私だって保育園児の頃、保護者会があると聞くと、母に「目の上を青くして来てよ!」なんて注文つけていたらしいから・・・お母さんがお化粧すると、いつもよりキレイになるって感じてるんだろうな、きっと。面白いな〜。


さて、そのクラス会。大学進学を機に生まれ育った町を出てしまった私は、その後ほとんどここへは戻ることなくあちこちをさまよい歩いていた。沖縄、マレーシア、タイ・・・と南下を続けるうちにいつしか消息不明者となってしまい、同級生が集まる機会に顔を出すことはこれまで一度もなかったのだけれど、当時の担任が校長に就任したお祝いを兼ねるという今回の集まりに、ようやく出席することができた。

先生も含めて、ほとんどの顔が21年ぶり。なかには一目では誰だか思い出せない人もいる。もちろん、昔とまったく変わらない顔もたくさんあった。ベッドタウンだし、自分も早くに離れてしまった土地なので、みなバラバラにあちこちから集まったのだろうと思っていたら、ほとんどの人が地元に住んでいるというのが意外だった。(地元に残る傾向は沖縄に限ったことじゃないみたいだなぁ)

記憶の中では中学生でしかなかったみんなが、一人前に大人になり、子を持つ親になっているのも不思議だった。完全に自分を棚に上げているのだが、どうしても信じられない!いったいいつの間にみんな大人になってしまったんだろう?ひとつの教室で、毎日一緒に過ごしていたのに、あるとき突然に別れが来て・・・それぞれがそれぞれの青春と葛藤の日々を経験した後、今日こうしてまた一同に会したんだなぁ・・・。



男子の記念撮影に入れてもらって
ゴッキゲンの結(後列右から3番目)
肩車してくれたT君を相当気に入った様子
30人近く集まっていたろうか?結局、子どもは結ひとりだけだった。オバチャン、オジチャンたちにかわるがわる遊んでもらって結構ご満悦だったみたいだ。先生を囲んで全員で写真を撮り、その後、女子と男子に別れてまた撮影。男子の撮影には結も入れてもらって、私も持参したデジカメでパチリ。先生は結のおじいちゃんでもおかしくない歳で(それにしては異様に若々しかったけど)、みんなも結のお父さんみたいなもんなんだ。中学時代の面影が強過ぎて、なんだか今でも妙な感じがするんだけど・・・。



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 5月22日(火) 天気:晴れのち曇り


なかなか天気に恵まれない。朝のうちちょっとでも陽が差すと、すかさず布団干しと洗濯をする。それでも、食事の支度はストーブの薪入れから始まるので時間がかかるし、起きてきた結の相手をしたりと、なんやかやで田んぼへ出かけるのは午後になってしまうことが多い。

今日こそはトウモロコシの苗を植えるぞ!と張り切って出かける。おにぎりを持って、ボトルに水を入れて・・・支度をして出発してからさらに25分かかってしまう。良い天気だったはずが、にわかに曇って来たりするともうガッカリ。でも、田畑の仕事はカンカン照りよりは曇り空の方がやりやすいかな、と気を取り直す。

遅播き過ぎた稲の苗床をのぞいて、「出てる、出てる・・・」とニンマリ。それにしても、上に敷いた草は、稲が何センチぐらいになったら取り外すのかな?それとも、自然と稲が突き破るのを待ち、そのままマルチにするのだろうか?きっとそうなんだろうな。自然農のメーリングリストを紹介してもらったので、早速登録しておこうと思う。自然派の農法もいろいろあって、なかでも「耕さない」「何も持ち込まず、何も持ち出さない」という自然農はまだまだ実践者も少なく、身の回りで参考になる田畑を見つけるのは難しい。インターネットってこんなときに威力を発揮する。

少しでも多く苗を作っておいた方がいいだろうと思って、いくらなんでも遅過ぎるとは思うのだが、さらにさらにと種籾を播いていく。しかし、だんだんと結が飽きてくる。こんなときにはお使いを頼むのが一番。「このボウルに、隣のれんげ畑かられんげの種採って入れてきて!」隣のれんげ畑は車が通る道を挟んでいるが、慎重に慎重に左右の車が行き過ぎるのを見て渡っている。

結が大好きなトウモロコシの苗も植える。全部で10株。まわりに雑草でマルチングしてから、間違って踏みつけないように枝で目印をつけることにした。30cmぐらいに折った枝を渡して、小さなシャベルで土に打ち込んでもらう。両手で一生懸命やってくれている。農作業に打ち込む結の姿は本当に微笑ましい。ただ、やっぱりまだ4歳児。ひとつの作業を長く続けることができないので、次々と新しい仕事を作ってやらなければならないのがまたタイヘンなのである。


トウモロコシの苗を踏まないように
枯れ枝で目印をつけています
トントントントン・・・
目つきはいたって真剣そのもの

こうして田んぼと畑をやって、何が一番の目的かと言ったら、まずは親子で楽しむことだろう。食べるものを作ることに意義を感じはするが、食べるだけなら、最後には買って済ませることもできる。だからあまり深刻にはならずに、お尻を叩いたり泣かせたりしない程度に土に親しんでもらい、私自身も一緒に楽しみたいと思っている。そのなかで、うまくいけば自分達の収穫を得ることができるのだし、年がら年中このようなことを繰り返しているうちに、もっと頑張ればもっとたくさんできるんだということが子どもにもわかってくるのではないか。とりあえずはそんなところで十分だと思っている。

隣の田んぼの持ち主、小笠原さんがやって来る。農作業の時間帯が違うので、顔を合わせるのは久しぶり。いよいよ田植えの準備を始めるらしく、田んぼの淵をスコップで掘り返しながら一周しているところを、あいさつがてら近寄って少し立話しをする。

女性だけの家づくりプロジェクトは、大工を志願していた水戸の女性が、メンバーが集まるのを待ちきれずに、自分で土地を購入して家を建て始めてしまったらしい。「本当にやる気のある人はやってしまう」「やりたいだけの人はたくさんいるが、実際に『やる』という人はなかなかいないから」と小笠原さん。また振り出しに戻ってしまった。誰か居ないかな〜、本当に一緒にやってくれる人。


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 5月20日(月) 天気:曇り(ちょこっとだけ晴れ)


 なかなか日記の更新ができないのは画像が原因だ!ということに気付く。デジカメで撮ったはいいが、それを処理するのに時間がかかる。デジカメをPCに接続するのは簡単だけど、フォトショップを開いたり、ファイルが開くまで待つあの時間がイヤなのであった(待つのが苦手な性格)。それで、画像にこだわらずに更新して、後からポツポツ画像を追加していくのもいいかな?なんて考えた。印刷物ではそうは行かないけれど、そこがホームページのいいところかな。

 相変わらず朝晩は寒くて薪ストーブを焚いている。薪は、誰も住まなくなったお隣の家が昔々に使っていたらしい外のお風呂場に積んである数十年モノを頂戴している。先日、やっと一輪車を買ったので、2〜3日分をまとめて取りに行く。行きは結も一緒にガラガラと押して、ゆるやかな坂道を調子良く下りる。帰りは重い上にのぼり道なので、ひとりでゆっくり押して行く。結はもっぱら先導役。

 我が家に続く道端にシロツメクサが咲いていたので、「おじいちゃんの仏壇に飾ろうか?」ということになり寄り道する。父が生前一番好きだった花は、カサブランカなんだそうだ。父親の好みなんて、何も知らなかった。亡くなってから5年あまりの間に、思い出をたどるように母がポツポツと教えてくれて、自分の知らなかった父の一面を少しずつ窺い知るようになった。だけど、気さくな田舎モノだった父のイメージはどちらかというと野の花だなぁと私は思う。千葉のベッドタウンで一生の半分以上を過ごした父。同じ県内に、こんなにノンビリとした田舎があったのに・・・住もうと思えば家を探して住むことだってできたろうに、その方がずっと生き生き自分らしく暮らせたろうにと、そんなことを考えながら父のために花を摘んだ。

 小さい頃の記憶だが、家の前の空き地にドラム缶を置いて火を焚き、消防署に通報されて腹を立てていた父。空き地にも所有者がいるということをどうしても理解できなかった父。駅からの道すがら大声で民謡を歌っていたという父(後日、同級生に指摘されて顔が真っ赤になった・・・)。住宅街のマンションで犬を飼い、チャボを飼い、苦情が来たっけなぁ。ヤギを飼って乳を搾るのが夢だとも言っていた。どうして田舎に移り住まなかったのか、今考えるととても不思議だ。もっとも父の頭の中では、田舎といえば自分の実家のある岩手のことであり、いつか岩手に帰りたいという気持ちはやはりあったらしいのだが。

 ところで、結は私の父を知らない。妊娠がわかったのは、父が亡くなってひと月ほどしてからだった。それが俗に言う「妊娠2ヶ月」つまり本当は受胎してからひと月程度ということだから、結がお腹に宿ったのは父の死の直後だったらしい。天真爛漫な性格も屈託のない笑顔も父にソックリで、本当に生まれ変わりではないかと思っている。子に魂が宿るのは受胎してひと月半ぐらいだというから、ちょうど父の魂が49日を過ぎて離れた頃ではないのか。くも膜下出血で亡くなったのだが、酸素マスクをして横たわる父の耳元で、「今度は私の子になって生まれてきてもいいよ」とささやいたのを聞き逃すことなく、速攻で生まれ変わってきたのではないかと思うのである。

 もともと威厳のある父親ではなかったが、後年はとくに親子が逆転したような関係になっていた。糖尿を患っていたので、たまに(稀に・・・というべきか?)実家に帰ると、いろいろな種類のおかずを少しずつ盛りつけて楽しい食卓を演出してあげた。「真弓が来てくれると美味しいものが食べられて本当に嬉しいなぁ」と子どものように喜んで食べてくれた。実家のトイレにポタポタ水滴が落ちていたので、ブラシの上手なしまい方を教えると、「なんでも教わることばっかりで・・・」と言って頭を掻いた。若い頃は相当血気盛んだったらしいが、根がまっすぐで口をつく言葉にも飾りがないため、何かと誤解を受けやすい人ではあったが、父の性格は、葬儀のときに一緒の車に乗り合わせた従兄弟にあたるという人が評して言った「とにかく憎めないんだよな」というひとことに尽きると思う。

 これは出生後何ヶ月も経ってから気付いたのだが、産科医が予想受胎日に妊娠日数を足して出した予定日を逆算してみたら、ちょうど父の命日になっていた。そんなこともあり、ますます結が父の生まれ変わりであるような気がしてしまう私である。当の結はつい昨日、こんなことを言っていた。「ママ、どうして結がここにいるかわかる?おじいちゃんが天国に行ってね、そのおかげで結がここに来られたの。そうなんだよ」
 


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